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 心の窓 7.お母さんの一言  
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お母さんの一言

人生に大きな影響を与えた「お母さんの一言」のお話です。

娘の小学校の学級懇談会で、1年生の初めての通信簿についての話しがあった。
担任の先生は「良いところを褒めてあげる手がかりとしてお使い下さい。

丸がいくつ、三角はだめ、などとくれぐれも言わないように」とのことだった。


昔、私が初めての通信簿をもらって、炎天下走って帰ったら、母は家の前で待っていた。

その場で開いて「4が3つか」、とだけ言った。

「3つしか」とは言わなかったけれど、

20歳で私を生んで、初めての子どもだからと一生懸命育てて、

まるで自分に点数をつけられたような顔をして数字を見ていた。

私は不安になって「次はもっと頑張るから」と言ったら、

母は「国語が4は、とっても良いことだ」と笑って答えた。


自分は国語が得意なんだと思い込んで、

その後、中学の国語教師になったのも、あの時の母の一言があったからかもしれない。

親になって初めて、あの時、母はたくさんの言葉をのみ込んだに違いないと思った。

                                朝日新聞「声」欄より


今の教育は逆かもしれません。出来なかった科目は残されて補習をさせられて、ますますその科目が嫌いになってしまいます。

人はそれぞれ得意なもの、不得意なものがあるからそれが個性となって現れるのです。音楽だけ得意な人もいれば、勉強はダメでも運動会ではスターになる子もいます。
もちろんある程度のレベルまでは不得意な科目も努力が必要でしょう。しかし、これからの教育は、「短所を直すよりも長所を伸ばす教育」がベストであるような気がします。

英語が得意な子には、とことん英語を伸ばしてやる。そして自分から、もっと英語を勉強したいと思いレベルの高い学校へ進学したいということになると、他の科目も勉強しないといけない。そうすると好きな英語を勉強したいがために、他の科目も真剣に勉強しだす。そのうち、勉強の仕方がわかり他の科目もつられてどんどん良くなっていく、これが長所を伸ばすということです。

「声」の文書にあるように、たった一言で「自分は国語が得意なんだ」と思い込む。これは、否定せず良いところを誉めたことが良い結果になりました。親は子に「出来るわけがない」という否定語は使わず、「あなたなら絶対に出来る。」と励ますことが必要ではないかと思います。

私も、中学1年の最初の体育の授業でバレーボールをやったとき、「結構うまいじゃないの」という体育の先生の一言でその気になってバレー部に入り、40歳近くなったいまでも、町内会でバレーボールを続けています。影響力のある人の「一言」にはすごい力がありますね。

イチロー選手も、コーチから打撃フォームを改造させられて成績が伸びず二軍落ちになったとき、仰木監督に代わってから「イチローの良いところをもっと伸ばしてやれ」という方針に変わり、グングン成績が上がっていったそうです。

女子マラソンの高橋尚子選手を育てた小出監督も同じです。その選手の良いところを誉めて誉めて伸ばしました。これは余談ですが、小出監督のやり方は、
「この練習は苦しいけどタイムがこれくらい出て金メダルが取れるやり方、この練習なら銀メダル。銅メダルでよかったら、この練習メニューだよ」
といって選手自身に練習メニューを選ばせるのも特徴です。自分で決めた練習メニューだから、苦しくっても耐えられるんですよね。

また、あの松下幸之助さんも、「人に仕事をやらせて70%できたら上出来としなさい」といっています。つまり社員の持つ30%の短所は見ずに、できる70%の長所をしっかりと見て伸ばしてやりなさいということです。


「長所を伸ばせば短所は吹っ飛んでしまう」

相手の良いところを見て、その部分をとことん誉めましょう。

短所は直してもゼロで終わりです。
しかし、長所は無限に伸びていく可能性を秘めています。。。



朝日新聞朝刊「声」欄に載った女子高校生の「心に残った一言」もご紹介しましょう。

足利市の18歳の鈴木さんは今、小学校の先生を目指して頑張っておられます。

そのきっかけになったのが、高校1年生のときの先生の一言です。

鈴木さんは、自分が大嫌いで情緒不安定になったときに、ある先生から

「自分で変えていかなきゃ」と声をかけられます。

そして、先生の提案で自分を変えるために、

自分の長所、短所、記憶の中の自分、どんな自分になりたいかを

ノートに書き始めました。

そして鈴木さんはこう語っています。

「それから2年、私は成長することができました。

その先生の優しさに触れたことで、私は教師になりたいと思うようになりました。

自分に対する先生の存在を、

自分の教え子に対する私の存在にできたらいいなと思っています。」



2004年2月に読んだ本で感銘を受けた部分を引用してご紹介します。
元小学校の校長先生が、朝礼で語りかけた内容が本になって出ています。
「続・おはようございます」〜朝礼訓話 第2巻 校長10年の語りかけ(佐久書房)

-講演会での語りかけ-

私は40年間、教育にかかわってきましたが、その長い経験で得ましたことは、

「ほめること」「叱ること」「教えること」の3つをうまくかみ合わせた教育が、

健やかな人間を育成することができるということです。

「かわいくば、3つ叱って5つほめ、7つ教えて、よき人とせよ」という教訓から

いくつかの事例をあげて、話を進めたいと思います。


「ほめる」ということについて、依然読んだ本で、大変感動した話があります。

それは、24歳になる、ある死刑囚の話です。


暗い独房の中で、短い一生をしみじみ考えながら、

たった1回だけ学校の先生にほめられたことを思い出したのです。

それは、中学校の時、図工の先生から

「おまえの絵は下手だか、構図はクラスで一番立派だ」とほめられたことでした。

そこで、彼はその先生に、自分の犯した過ちや、短い人生の中で、

たった1回だけ先生からほめられたことの喜びを、手紙にしたためました。


その後、先生から返事が来ましたが、その先生の奥さんは、短歌の造詣が深い方で、

死刑囚の心を少しでもいやしてあげようとの配慮があったのでしょう、

文面の最後に、先生の奥さんの詠んだ歌が三首添えてありました。


手紙を読んだ死刑囚は、すっかり感動し、それからせっせと和歌作りに励むようになり、

33歳で処刑されるまで、実に多くの歌を詠んだのです。

そして、処刑される前に、

「永らくお世話になりました。私が24歳の、ある寒い夜、

ひもじさに耐えかねて、農家に押し入り、2千円を奪いました。

しかし、その農家の人に見つかってしまったので、殺してしまいました。

しかし、そんな暗い人生の中で、たった1回だけ、先生がほめてくださいました。

私を認めてくださいました。そのことがきっかけで、今、真人間になることおができました。

どうか、つまらない、どんなくせの悪い、どんな貧乏な子どもでもほめてやってください。」

という内容の遺書を残しました。

彼の辞世の句は

ほめられし 一つのことのうれしかり 命いとしむ 夜の思いに

低能児といわれた彼が、学校の先生にほめられたことの感銘が、

いかに深かったかが思い知らされます。

この死刑囚はご存知の方もおられるでしょう。島秋人さんです。


故山本五十六元帥のことばで、私の座右の銘としている教訓を紹介します。

やってみせ 言って聞かせて やらせてみ ほめてやらねば 人は動かじ



かすが幼稚園の米川先生のコラムから転載させていただきます(2004年7月)

「個性」と「野性」

子どもの個性を生かす教育、子どもの本来持って生れた個性を大切に育てる教育。

ゆとり教育とともに、よく耳にする言葉です。

画一的な管理教育の反省からでてきた考え方でしょう。とてもひびきのよい言葉です。


でも、ちょっと考えてみるとおかしなことに気づきます。

子どもが持って生れた個性は、すべてよい個性だ、とは限らないはずです。

もし、生れたままの個性を大事にして育てたら、

それこそ粗野で野蛮で粗暴な子に育つ可能性も大きいはずです。

それは、実は「個性」ではなく「野性」なのです。


野性を大切に育てることがよいことだとすると、オオカミ少女やジーニーのように、

社会に適応できない野性の子を育てることがよいことだ、ということになってしまいます。


子どもはさまざまの個性を持って生れてきます。

しかし、その個性の中から、よい個性を伸ばし、悪い個性を矯正していく必要があるはずです。

その善悪を見極めるのは難しいことかもしれませんが、しかしそれが家庭での教育やしつけであり、

また幼稚園や保育園、そして学校の教育にも必要とされていることだと私は考えます。


子どもの個性を大切に、と考えるあまり、何でも子どものしたいようにさせる。

これは決して個性を大切にした教育ではありません。

私に言わせれば、それは子どもの「野性」を野放しにする教育であり、

もはや教育と呼べないものだ、と考えるのです。


粗野な野性を個性に変えていく作業、これこそが本当の意味での「個性を大切にする教育」だと思うのです。


次もかすが幼稚園の米川先生のコラムから転載させていただきます(2005年7月)

子育てにマニュアルはあるのでしょうか?


子育てに、果たして確かな「マニュアル」は、あるのでしょうか?

さまざまな育児雑誌や子育てに関する本があります。

その中で主張されているものは、それこそ千差万別、種々さまざまです。


ある本には「叱って育てなさい」と書いてあるし、ある本には「できるだけほめなさい」と書いてある。

これでは子育てに「正しい方法などない」と思われても当然です。


あるときすばらしい実践をされている教育者の方の講演で、こんな言葉を聞きました。

「悪いことをした中学生の息子に『おまえなんか、このうちを出て行け!』と父親が言ったとします。

そのとき、ある子は、親父はこれほど真剣におれのことを考えてくれているのかと

『お父さん、ごめん』というかもしれません。

また『そしたら出て行ってやる!』と本当に出て行ってしまう子もいるでしょう。

このように、教育に『こうすれば正しい』というものは、ないのです」


たしかに、その通りです。具体的な場面になると、その子の性格や環境、

そのほかさまざまな状況によって叱り方でも違ってくるでしょう。


川上元巨人軍監督が、「長島を叱るときは、みんなの前で、大声で叱った。

しかし、王を叱るときは、二人きりのときに、説いて聞かせるようにした」と話されていました。

長島さんと王さんの性格の違いで叱り方を変えていた、というわけです。


では、子育ての基本原則のようなものがまったくないのか、というと私はそうは思いません。

私は、園で行っている「生活の四大原則」は、しつけの大原則、

そして、子どもの小さな達成を「ほめ、励まし、認める」言葉がけ、

これだけは普遍のものだと考えているのです。



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