「運のいい人は、自分から”マイナス”を引き受けている」
「あの人は運がいいなあ」と思う人がいます。
仕事がうまくいったり、いい人と出会ったり、困ったときに誰かが助けてくれたり。
もちろん、本当に偶然ということもあるでしょう。でも私は長く生きてきて、運というものは単なる偶然だけではないような気がしています。
私は昔から「人生は最終的にプラスマイナスゼロで終わるのではないか」と考えています。
だから少し不思議な考え方かもしれませんが、自分からあえて「マイナス」を引き受けることがあります。
たとえば、自分のお金や時間を使って誰かのために何かをする。見返りを求めず人を助ける。ピアノを必要としているところに寄付する。
自分だけの損得で考えれば「マイナス」です。
でも、そういうことをすると、なぜか後になって別のところから「プラス」がやってくるように感じるのです。
もちろん、「これだけ寄付したから、これだけ返ってくる」という単純な話ではありません。
まったく関係のないところから仕事の話が来たり、思いがけない人との出会いがあったり、困っているときに助けてくれる人が現れたりする。
振り返ってみると、「あのときのマイナスが、こんな形で返ってきたのかな」と思うことが何度もありました。
私は仕事柄、たくさんのピアノと関わってきました。
ピアノという楽器は不思議なもので、一台のピアノが何十年にもわたって、たくさんの人を幸せにします。
ある家庭で役目を終えたピアノが、次の家庭に渡り、そこでまた子供がピアノを弾く。
学校や施設などにピアノを寄付すれば、その一台から何百人、何千人という人に音楽が届くこともあります。
自分のところに置いておけば一台の中古ピアノですが、誰かに譲れば、そこからたくさんの笑顔が生まれる。
私は、そういうことに価値があると思っています。
そして不思議なことに、人に喜んでもらえることをすればするほど、自分の運もよくなっていくような気がするのです。
昔から日本では、
「おてんとうさまが見ている」
と言います。
子供の頃には、悪いことをしたら誰も見ていなくてもおてんとうさまが見ている、だから悪いことをしてはいけない、という意味だと思っていました。
「ご先祖様が見ている」という言葉もあります。
でも年齢を重ねるにつれて、これは単なる昔の人の教えではなく、もっと深い意味があるように思うようになりました。
誰も見ていないところで人のためにしたことも、どこかに残っている。
反対に、誰にもわからないと思ってやった悪いことも、どこかに残っている。
それが巡り巡って、いつか自分の人生に返ってくる。
昔の人は、そのことを「おてんとうさまが見ている」と表現したのではないでしょうか。
音楽にも少し似ています。
ピアノは鍵盤を押せば音が出ます。そして、その音は消えてしまったように見えても、次の音に影響を与えています。
一音一音は小さくても、それが積み重なって一つの曲になります。
人生も同じでしょう。
今日、誰かに親切にした。
誰かを喜ばせた。
困っている人を助けた。
自分が少し損をしてでも、人のためになることをした。
その一つ一つは小さな「音」なのかもしれません。
すぐに何かが返ってくるわけではありません。でも、その音が積み重なって、やがて自分の人生という一つの曲になっていく。
だから私は、自分から「マイナス」を作ることを、それほど損だとは思いません。
むしろ、できるときには人に喜んでもらえることをする。
すると不思議なことに、人生のどこかで思いもよらない「プラス」がやってくる。
それが私の考える「運のいい人」なのです。
運は待っているだけではなく、自分の行動によって少しずつ作っていくものなのかもしれません。
人生という長い曲を最後まで弾き終えたとき、
「ああ、結局プラスマイナスゼロだったな」
と笑えたら、それが一番幸せな人生なのではないかと思っています。
【石山社長ブログ】













