心の窓 43.事実は小説よりも・・・

事実は小説よりも・・・

インターネット上には、様々な“事実” が掲示板などに書かれています。

それらを読むにつれ、人それぞれ、人の数だけ人生があるんだと気づかされます。

ここでは私が感銘を受けたもの、考えさせられた出来事などを、

本から抜粋したものなどを含め転載させていただきたいと思います。

■祖母の置き手紙

彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。

彼は昔、両親を亡くして、祖父母に育てられていました。

そして、4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで、

84歳の祖母と二人暮しでした。

それが反対の理由でした。

「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。

結婚を申し込みに来た彼と彼の祖母にも、そう言い放ったんです。

その2日後でした。

彼の祖母が置き手紙を残していなくなりました。

仕事から戻った彼からの電話で、私たちは必死に探しました。

探して探して探して空が明るくなりかけた頃、

彼の祖父の眠るお墓の前に座り込んでいる祖母を見つけました。

年も年だったので衰弱し、即入院になりました。

そのことがきっかけで、私の両親も私たちの結婚を許してくれ、

結婚式はせず、すぐに籍だけを入れました。

もう10年近く前の話です。

祖母は、入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。

そのときの手紙です。

★★へ(彼の名前)

ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。

貴方のお父さんとお母さんが死んだ時、

私はこの先の人生は貴方のために使っていこうと心に誓いました。。

ばあちゃんは年であるし、お金もない何も何も持っていません。

貴方への愛情だけです。

そして、貴方はばあちゃんの事を、とてもとても大切にしてくれた。

とてもとてもよい子に育ってくれました。

そして、人生の伴侶となるべき相手を見付けました。

でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。

幸せになってください。

ばあちゃんは貴方を育てることができた事がとてもうれしいです。

とてもとても幸せでした。

●●子ちゃんと、どうかどうか幸せになってください。。。

■字を覚えたのは何のため

4歳になる娘が、字を教えて欲しいといってきたので、

どうせすぐに飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けて欲しいって言われたんです」

こっそりと中を読んでみたら、

「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」

と書いてあったそうだ。

旦那は昨年、交通事故で他界した。

字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・。

受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」

最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。。。

■ママのママになってあげる!

私の母は小学校4年の時に亡くなったの。

その話を娘にしてたのよ。

ママのママは死んじゃっていないんだよーって。

そしたら、娘が「じゃあ、○○がママのママになってあげる!」

だって。

意味分かってないんだろうけど、嬉しかったよ。。。

■お母さんと分けっこしたい

4歳の息子。

お手伝い1回5円でためたおこずかいでお菓子を買った。

私的にはお菓子は食費から買うのでミニカーとか買えばいいのにと思って、

「はぁ? そんなもん買ったの?」と言った。

そしたら涙ぐんで

「この前かあさんと分けっこしておいしいねって笑ったでしょ?」って・・・。

ごめん息子よ・・・・こんなバカな母でも優しい子に育ってくれたんだね・・・・。

ぎゅっと抱きしめて泣いてしまいました。

■娘のはってくれた絆創膏

先日、ダンナとささいな事でケンカになってしまいました。

お互いにかなりヒートアップしてしまい、すごい勢いでののしり

子供の前で大泣きしてしまいました。

私がタオルで泣き顔を見られないようにしていると、

娘「ママどうしたの?(困った顔で)」

私「ママねーちょっとお目目が痛いの・・・」

娘「じゃあ、ばんそうこう買ってくるね。待ってて」

私「?」

救急箱から、娘が一番大事にしている

キティーちゃんの絆創膏を持ってきてくれました。

慣れない手つきで絆創膏の紙をはがし、

「ママの涙止まるかな~。止まって欲しいな~」といいながら

私の目の下に貼ってくれた娘。

私の心にも絆創膏をはってくれた娘。ありがとう。

子供の前でケンカはやめなきゃな・・・・。

■生まれてきてくれてありがとう

大学を卒業して、大手企業に就職したばかりの4月、妊娠が発覚した。

えっ? 何で? これが私の正直な気持ちだった。

苦労して入った大学、、氷河期に死ぬ気でとった内定、

やりたいこと、やるべきことがまだ山のようにあった。

自身の未来を考えて、即座に堕胎を決意した。

隣町の産婦人科に行き「おろしますか?」と聞かれたとき、

なぜか、「はい」と答えられなかった。

それから会社を辞め、主人と話し合い入籍。

結婚式や新婚旅行どころか、指輪さえもらえなかった。

胎児は順調に育ち無事出産。

しかしここからが本当の戦いだった。

育児は思ったいた以上に苦しく、毎日子供に怒鳴り散らす生活。

「お前なんか生まれてこなければ良かった!」

「お前がいなければ、私は東京でやりたい仕事をしてた」

「お前のせいで、結婚式もできなかった」

毎日毎日、子供を責め旦那を責め、自身を責めノイローゼになった。

本気で死んでくれないかと思ったことすらあった。

子供が1歳になったある日、体調不良で病院にいくことになった。

結果、かなり進行した子宮ガンだった。

私は23歳で子宮を全摘出した。

息子は2歳になろうとしている。

朝起きると自分がご飯を食べる前に、バナナを口に入れてくれる。

私が朝弱いことを知って上での行動だ。

あのとき堕胎しなくてよかった。

子宮摘出手術が終わったその日、私はベッドの上で思いっきり泣いた。

悲しかったわけではない。

嬉しくて、嬉しくて涙が止まらなかったのだ。

「息子は神様がくれた最初で最後のプレゼントだったのね」

そう思うと、息子と主人に感謝の気持ちでいっぱいになった。

○○くん本当にありがとう。

生まれてきてくれて、本当にありがとう。

こんなにくだらない私をママにしてくれて、ありがとう。

そしてこの世に出るためにママを選んでくれてありがとう。。。

■私を育ててくれた兄へ

私よりも10歳年上の兄は、私が10歳の時に両親を事故で失って以来、

ずっと私を育ててくれた。

兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。

口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。

授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。

周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが、

それでも兄は会社で休みをとってもらった学校に来てくれた。

初めて作った料理ともいえないようなものを、おいしいといって食べてくれた。

仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話しを聞いてくれたり

宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。

土日も私と遊んでくれて、いろいろなところに連れて行ってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。

友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれた、

とわがままを言ったとき、慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、

こんなんじゃない、お母さんに会いたいよと兄をなじってしまった。

兄はそれを聞いてごめんと泣きだしてしまった。

あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子供だったんだと、

今でも泣きそうになる。

その兄が、1年前両親と同じように事故で突然この世を去った。

兄が死んだ時、私は兄が両親を失ったときよりも1歳年上だった。

兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと、

それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。

兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。

恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。

たくさんだくさんごめんなさいとありがとうもいえないままだった。

「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、

兄の幸せはどこにあったのだろう、今でも考えている。

もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまでこれた人生、

恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。

お兄ちゃん、天国で見ててね。。。

■母はいつでもあなたを待っている

結婚まで約束した人をとられた。とられた相手は私の妹。

悲しくてつらくて妹やあの人を呪ったり「殺してやりたい」と思ったり

ぐちゃぐちゃになって一時はめちゃくちゃな生活を送っていたが、

周りの人たちの叱咤や励ましでどうにか立ち直り、彼と妹の結婚式にも出席できた。

(それでもつらかったけど)私は家を出ることにした。

家を出て行く日の朝、車があるガレージまで母が見送りに来てくれた。

「・・・・・・じゃ行くから」

そう声をかけて車に乗り込もうとすると、後ろからいきなり母に抱きしめられた。

「あんたは私の娘。30年前必死になってお腹を痛めて生んだ私のかわいい子供なの。

だから母さんはいつでもどんな時にでも、あんたが幸せになってくれる事だけを願ってる。

つらかったりなにか困ったことがあったらいつでも帰っておいで。

ここはあんたが育った家。母さんはいつだってあんたが来るのをここで待ってるから」

私はその時、母と一緒に大声で泣きました。

私はこの母の子供でよかった。頑張って幸せになるよ。

そしてこの先どんな事があっても母を見捨てたりしない。

お母さんと私、そしてみんなで幸せになろうね。

■「お母さん」がくれた命

私がまだ小学2年生の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。

特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、なんだか馴染めなくて、

いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。

そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことは

よく分かっていた。

小学4年生になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。

あんまり気がすすまなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついて行った。

現地に着くやいなや、私は継母のことをほったらかしで川に浸かって遊んだ。

しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息ができなくなった。

すごく苦しかった。

でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなてきて、意識が飛んだ。

気がつくと私は病院ベッドで寝ていた。

一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言った。

ベッドの傍に、継母はいなかった。

私は父に「あの人は?」と訊いた。

父は一呼吸おいてゆっくりとした口調で教えてくれた。

私が溺れたときに継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、

そのまま力尽きて下流まで流された。

その後、救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。

継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。

彼女は、そのまま我が家に戻ってくることもなく・・・・。

葬儀が終わって母の遺品を整理していたら、鍵のついた日記が出てきた。

私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。

そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いたあった。

ずっと読みすすめていくと、最後のほうの日記に

「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。

あの子なら命がけで守れる自身がある。

○○ちゃんを私に託してくれた☆☆(実母の名)さん、本当にありがとうございます。」

継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。

いつだってとても優しい目で私を見ていてくれていた。

いつも私の目線と同じ高さになるように、中腰になって話しかけてくれた。

そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに、私はあの人に何一つしなかった。

愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。

私は愛情どころか、あの人の命まで奪ってしまった。

日記を読んで初めて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、

声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、といって泣いた。

ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。

■母からのビデオメッセージ

俺も小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで、中学校の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。

親父の留守中、家に金がないかタンスの中を探していると、

ビデオテープがあったんだ。

病室のベッドの上にお母さんが写ってた。

「○○ちゃん20歳の誕生日おめでと。なにも買ってあげられなくてゴメンネ。

お母さんがいなくても、○○ちゃんは強い子になっているでしょうね。

今頃、大学生になっているのかな?

もしかしたら結婚してたりしてね・・・。」

10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた。本気で泣いた。

次の瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマを全部剃った。

みんなにバカにされるくらい勉強した。

俺が一浪だけど合格したとき、親父、、まるで俺が東大にでも受かったかのように

泣きながら親戚に電話してた。

そんで、20歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。

また、よく見てみたら。

ビデオに撮ってる親父の鳴き声が聞こえてた。

お母さんは、笑いながら「情けないわねぇ」なんて言ってるんだ。

俺、また泣いちゃったよ。

親父も辛かったんだろうな。親父にそのこと言ったら、しれねーよなんて

言ってたけど、就職決まったとき、親父が「これでお母さんに怒られなくて済むよ」

なんていってた。

俺、このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

お父さん、お母さん、ありがとうございます。

■息子の好きなポケモンジュース

息子が4歳の時、インフルエンザに感染し40度以上の高熱と出して、

深夜に痙攣を起こした。

意識はなく、搬入先の病院から、翌朝、緊急病院に転送された。

集中治療室のベッドに寝かされ、胸や鼻にチューブやらコードやら取り付けられた。

医師からは、「インフルエンザ脳症です」と告げられ、

壊死性脳症というタイプの病状であり、今のところ小脳が壊死している旨、

また、症例もあまりなく、治療法が確立されていないこと、

過去の症例など説明があった。

その説明を聞いて、「息子はもう死んでしまうのだな」と感じた。

医療処置があるのでとのことで、いったん待合所に出、椅子に座りながら、

別の病院に入院中の妻にどのように説明しようかと悩んでいた時、

ふと目の前の資料飲料の自動販売機に気がついた。

その中に息子がよく飲んでいたポケモンのオレンジジュースがあることを

発見したのだ。

缶のふたのところに5百円玉くらいの大きさのポケモンのコインが入っていて、

息子がコイン目当てに買っていたものだった。

その瞬間、これまでの出来事があまりに突然なため、

「息子の死」というものについて、実感をもって理解できなかったのだが、

急に涙が溢れてきて、いつまでも止まらなかった。

昨日まで本当に元気にしていた。

覚えたばかりのふざけたテレビ漫画の歌を大声で歌うものだから、

「うるせえ!」と怒鳴りつけたのも昨日のことだ。

そんなことが次々と走馬灯のように頭の中を回り、

今、病院にいることが夢なのかどうかさえも分からなくなり、

ひとりで泣き続けた。

それから集中治療室での入院が続いた。

約1週間、依然として胸のチューブ等はついたままで、

意識はあるのかどうか分からず、

普段の3分の1しか開かない眼はうつろだった。

もちろん、手や足はほとんど動かなかった。

話しかけても、返事もなく、時折眼球が私の方を追うように

ゆっくりと動くが、見えているのかどうかも分からなかった。

看護婦さんがテレビを運んできてくれた。

「外からの刺激も大事ですから」とNHK教育テレビをつけて去っていった。

それから2、3日。いつもと同じように息子が見えるように教育テレビを付け、

私は脇に付き添っていた。

すると突然、かすれるような小さい声で「だ・・・ん・・・ご」。

びっくりして息子の方を向くと、テレビの方をみながら

息子の口元がかすかに笑っている。

しゃべったのだ。

思わずテレビの音量を上げた。

テレビはだんご三兄弟」ほ歌を放送していたのが。

やっぱり息子の好きな歌だった。

テレビは見えていたし、歌も覚えていたのだ。

よかった。嬉しかった。

歌が終わると、息子は眠り始めた。

私は自動販売機にポケモンのジュースを買いに行った。。。

                         (出典:なける二チャンネル こあマガジン)

これは朝日新聞の読者の相談室コーナーにあった記事です。回答が見事ですね。

■相談室「いつも死ぬんだ」怖くて不安

質問:(北海道 中学3年生女子15歳)

中二の夏ごろから、自分はいつか死んで、

この世から消えてしまうんだということを意識するようになりました。

それからは、どんなに面白いことや嬉しいことがあっても、

その考えが頭の片隅で邪魔をします。

そんなことを悩んでもしょうがない、

今生きているんだから今を精一杯楽しめばいいんだと

何度も自分に言い聞かせるのですが、

どうしても心からそう思うことができず、怖くて不安な気持ちから抜け出せません。

人が年をとって死ぬことは避けられないのだから、

恐れるのではなく受け入れるようになりたいのいですが、それは難しいことでしょうか?

回答:(回答者Tesuyaさん-創作家)

死生観というのは人生の数と同じだけありますから、

こういうふうに思いなさいと、あなたに強制することはできません。

ただ、ボクの場合を語ることはできます。

ボクもいつかは死んでしまうので、出し惜しみはしないことにしているのです。

ボクはいつか死んでしまうので、使いきれないお金を稼ぐために

頑張ろうとは思いません。

ましてやお金のために人を悲しませようとは思いません。

ボクはいつか死んでしまうので、土地を巡って誰かと争おうとは思いません。

あの世に持っていけるもいけものなど一つもないのですから、

争うぐらいなら笑っていようと思います。

ボクはいつか死んでしまうので、嫉妬やらいらいらはやめました。

その分、空の色や鳥の声をしっかりと受け止めようと思います。

ボクはいつか死んでしまうので、女の人とお酒が好きであることを生きている今、

宣言いたします。

ボクはいつか死んでしまうので、生きることを意味をいつも考えていたいと思います。

鮮やかな一瞬に恋しています。

ボクはいつか死んでしまうので、わずかな才覚でも有効に使いたいです。

それで誰かに喜んでもらえたら、死ぬ時はきっと微笑んでいるでしょう。

父さん母さん、産んでくれてありがとう。

生きるって、途方もないプレゼントだったんだね・・・。

(朝日新聞2005年3月26日朝刊18面 生活「読者と」 相談室)

ちょうどこの文章を打ち込んでいるときに、

となりの部屋から4歳の長女の声が聞こえてきました。

「お母さぁん、○○ちゃん(自分のこと)が生まれてきてうれしい?

○○ちゃんなぁ、お父さんがお仕事に行っている時、

お母さんが一人ぼっちで悲しい、って泣かないように生まれてきてん。

○○ちゃんのこと、好き?」

2005.2

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マーちゃん

マーちゃん の紹介

ぴあの屋ドットコム代表 ピアノを弾く時にはリチャード石山と言われています。
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