心の窓メルマガ版 31 「55年目のゴール」

55年目のゴール

金栗四三(かなぐりしぞう 明治24年生まれ 熊本出身 父43歳のときに生まれたことから四三と名づけられる)。日本のマラソンの父と言われる人です。

ストックホルムオリンピックの前年の予選会で、なんと世界記録を27分も縮める大記録を出し、日本初のオリンピック選手として出場できることになりましたが、日本からストックホルムまでの当時の渡航費が、今のお金にして500万円ほど。そんな大金はどこにもありません。一人で悩んでいたところ、兄が「田畑を売ればなんとかなる」と援助をしてくれ、出場することができました。

ところが、スェーデンまでの20日間もの旅と、日本で経験したことのない白夜で、レース前日には一睡もできませんでした。さらに、当日は迎えの車が来ず、会場まで走っていったのです。今では考えられない状態です。
さらに40度もの猛暑になり、ついにレース中に意識を失い近くの農家で介抱してもらいましたが、目を覚ましたのは翌日の朝でした。
非常に過酷な条件でのレースで、出場した68名中、半数は棄権しそのうちの一人は翌日亡くなっています。

国家の威信をかけた日本からオリンピックへの初出場であり、また田畑を売ってまで出場させてくれた兄の気持ちを思うと、死んでお詫びをせねば、とまで思ったかもしれません。

しかしその後、ストックホルムでの敗因を分析し、真夏の耐熱練習や心肺機能の向上のために富士登山などの高地でのトレーニング、そして箱根駅伝の発案など、いろいろな試みが金栗四三のアイディアが現在に生かされています。

昭和42年、金栗四三氏75歳のとき、1通の招待状が届きました。ストックホルムのオリンピック委員会からです。
「金栗四三氏のゴールを要請する」というものでした。

ストックホルムオリンピックの記録では「金栗氏は競技中に失踪し行方不明」みられていました。つまり、棄権もゴールもしていないという状態だったのです。これに委員会が気いて、金栗をゴールさせることにしたのです。

そして要請を受けた金栗氏は、ストックホルムの競技場を走りました。そして場内アナウンス。

「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月と6日 5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」。

世界一のスピードを持った男の、世界で最も遅いマラソン記録でした。
金栗氏はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしています。

金栗四三氏 昭和59年 93歳で永眠。日本には素晴しい人生を生きた人が、まだまだたくさんいますね。

ぴあの屋ドットコム 石山

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