心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓 19.信念

信念

もしも

あなたが敗れると考えるなら、あなたは敗れる

あなたがどうしても考えないなら、何一つ成就しない

あなたが勝ちたいと思っても立てないと考えているなら、あなたに勝利はほほえまない

もしも

あなたがいいかげんにやるなら、あなたは失敗する

われわれ場この世界から見出すものは、成功は人間の意志によってはじまる

すべては人間の精神状態によってきまるということだ

もしも

あなたが脱落者になると考えているなら、あなたはそのとおりになる

あなたが高い地位に上ると考えているなら

勝利を得る前に必ずできるという信念を持つべきだ

人生の戦いは常に強い人早い人に歩があるのではない

いずれ早晩勝利を獲得する人は、

私は出来るんだ

私は出来るんだ

私は出来るんだ と考えている人だ

ピアノ調律に行ったときに、ピアノの前に立派な毛筆でかかれていたものを
写させてもらいました。
気に入った文章なので、そのおうちのおばあさんが自分で書いたとのことでした。
今も人生をしっかり前向きに生きているおばあさんだそうです。

文章はどなたのものかは分かりませんが、この文章を読んで
仕事に限らず、どんなことにも自分に自身をもって
信念をもって生きていきたいと思いました。


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心の窓 18.物は考え様

物は考え様

松下幸之助さんが、ある時、

「成功の要因は?」と聞かれてこう答えられたそうです。

「成功の理由には三つある。ひとつ目は、父の商売がダメになり、
私はどん底の貧乏を味わったからだ。

 二つ目には、私は小学校中退で働き、学歴がなかったからだ。

 三つ目に、私は体が弱かったからだ。これが、私がここまで会社を

創業発展させることができた理由だ」

 上記の三つは、普通ならばどれも失敗の要因に挙げるものばかりです。

「私にも、もっと資産があったらなぁ」、

「もっといい大学を出てれば出世できたのに」とか、

「病気がちでなかったらもっと働けるのに」、

よく聞く話です。

 ところがそれを松下さんは成功の要因だといわれる。

理由を聞くと、

「どん底の貧乏だったから、お金のありがたみが痛いほどわかったし、

一所懸命働く事ができた。もし貧乏でなかったら、中途半端にしか

働かなかっただろう。

 また学歴がなかったから、どんな人のことばも先生のことばに聞こえた。

もし、大学まで出ていたなら、人のことばに謙虚に耳を貸さなかっただろう。

体が弱かったから、仕事を人に任せるほかなかった。

もし、健康だったら何でも自分が、と思っていただろう。

幸いなことに天は自分に貧乏、無学歴、病弱な体を与えてくれた」

 私たちはなかなかここまで達観できないかもしれません。

しかし、やはり物は考え様。

砂漠で水筒に水が半分。

「もう半分しかない。ダメだ」か、

「まだ半分ある、さあ歩こう」か、です。

かすが幼稚園の米川先生からメール配信していただいた「子育てコラム」からの転載です。
同じ出来事でも、考え方を変えるとこんなに違ってくるんですね。
特に松下幸之助さんは、素晴らしい人材も育ててきました。
これは、体が弱かったからこそ、人を使い、人の長所を伸ばしていけたからだと思います。

あと、松下幸之助さんに多大な影響を受けた方に、京セラの稲盛会長がいらっしゃいます。
幸之助さんの講演会で
「成功の秘訣を一言でいうとなんですか?」
という質問があって、
「成功の秘訣は、成功したいと思う強く思うことだ」
と答えたのを、ほとんどの人は冗談かと笑い飛ばしたのに対して
稲盛会長は、体中に電気が走るほど感動したそうです。

「思いは実現する」

これは、最近特に私が思うことです。


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心の窓 17.思いやり 

思いやり

思いやりとは、誰かが何かをかわいそうに思い

その苦しみと原因をなくそうと努力することだ。

何かの本に書いてあった言葉です。
本当の思いやりとはこういう事なんですね。
つまり「かわいそう」と思うだけではダメで、それを実行にうつさないと
本当の思いやりではないということです。

妻が、スーパーに行って子供にソフトクリームを食べさせていました。
あるとき、近くでソフトクリームを食べていた兄弟の弟のクリームが
ボトリと落ちてしまい、店中に響くくらいの大声で泣き始めました。
お母さんはどこかへ行っていないようです。
お兄ちゃんは自分のクリームを食べるのに一生懸命で
弟はますます泣くばかり。

その場所にいた多くの子供連れのお母さん達が、
「仕方ないわよねェ~」といってすーっと波が引くようにいなくなってしまいました。
そんなときどうすればいいでしょう。

他人が変わりにもう一つ買ってあげるのはやりすぎかもしれません。
お店によっては、もう一つサービスで作ってくれる場合もあるようですが
そうじゃない場合、傍観しているだけではなく、やっぱり子供のそばに行って
「お母さんはもうすぐ来ると思うよ。もうちょっとガマンして待ってようね」と
一言声をかけて上げればよかった、と妻は言っていました。
結局、すぐお母さんが戻ってきてもう一つ買ってあげたようです。

しかし、目の前で起こる出来事は、すべて自分に何かを気づかせるために
「起こされている」ものだという気がしてなりません。
この出来事で、私もこの「苦しみと原因をなくそうと努力することだ」
という言葉を思い出しました。
どんなことも、まず「行動」が大切なんですね。

「みつお」の言葉に、

「批判したけど、自分にできるかな」

というのがあります。
テレビや雑誌で人を批判する場面をよく見ますが、
それではその人の立場になったとき、自分に果たしてできるだろうか
という視点でものを見ることが大切なような気がします。
これも「行動」ですね。


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心の窓 16.三年峠

三年峠

 昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

ある日、おじいさんはいつものように山へ仕事に出かけました。

その日は、三年峠という峠を越えていかねばなりません。

朝、出る前におばあさんはこういいました。

「おじいさんや。あの三年峠には気をつけるんじゃよ。

あそこで転んだのものは、3年で死んでしまうという言い伝えがあるんじゃからなぁ」

おじいさんが三年峠にさしかかると、いつもより慎重に歩きました。

「右足の次は左足」というあたりまえのことを意識しすぎてコチコチになり、

ついに足がもつれて転んでしまいました。

「これはしまった。大変だ」とおじいさんは慌てて家に帰りおばあさんに報告しました。

(ここからストーリが2つに別れます)

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ストーリー1

おばあさんはたいそう驚いて、おじいさんを責めました。

そして、おじいさんとおばあさんは毎日手を取り合って泣き暮らし、

そのストレスから、体のあちこちに支障がではじめ、

ついに三年を経たずにおじいさんは亡くなってしまいました。

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ストーリー2

おばあさんはたいそう驚きましたが、そのうちニコッと笑ってこう言いました。

「なあおじいさんや。人間はいつかは必ず死ぬわなぁ。

3年後に死ぬと決められるとそれもつらいわなぁ。

でもよく考えてみると、三年峠で転ぶと3年後に死ぬということは、

あと3年は生きられるという保障を得られたようなものじゃわ。

わっはっは!

おじいさんや、もう一度三年峠に行っって転んでいらっしゃい。

そうすれば6年生きられるわい。

あと2回転べば9年じゃ。こりゃめでたいめでたい。」

おじいさんはさっそく三年峠に行き

コロコロ、コロコロ転び、ついに天寿をまっとうしました。

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このお話を知り合いから聞き大きな感銘を受け、
今回ストーリーを二つに分けて私なりに脚色してみました。
三年峠で転ぶということは、人生でつまづくということです。
普通に自然に歩けばよいものを(自然に人生を歩めば良いものを)
意識して自分の思うことと違う歩き方(生き方)をするとつまずいてしまいます。

人生でつまづきはつきものです。
失敗は誰にでもあること。そのあとが大事なのです。
転んだということをずーっと後悔し、三年峠という場所があることを恨み
自分の人生の期限が短いと嘆き、悲しんで一生を送るのも人生。

人間はいつかは必ず死ぬ運命にあるということを理解し、それが明日ではなく
3年後だということに感謝し、さらにそれを前向きに知恵を使って生きるのも人生。

どうせなら、限りある人生を前向きに楽しく送ったほうがいいに決まってますよね。


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心の窓 15.豊かなのは誰?

豊かなのは誰?

 ある日、大変にお金持ちの家の父親が、息子を田舎へ連れて行きました。

息子に、人々が実際にどれほど貧しくなれるものかを見せようと思ったのです。

 父親と息子は、田舎の大変に貧しい農家で数日を過ごしました。

田舎から帰る道中、父親は息子に「どうだった?」と尋ねました。

「とってもよかったよ、お父さん」

「人々がどんなに貧しくなれるものか、わかったかい?」父親が聞きました。

「そうだね」と息子は答えました。

「おまえはこの旅で何がわかったんだい?」

父親が聞きます。息子はこう答えました。

「僕たちの家には犬が1匹しかいなけど、

あの農家には4匹いたよ」

「僕たちの家には、庭の真ん中までのプールがあるけど、

彼らにはどこまでも続く川があるんだね」

「僕たちは輸入したランタンを庭に下げているけど、

彼らには夜、星があるんだね」

「僕たちは、小さな地面に住んでるけど、

彼らの住んでいるところは見えないぐらい遠くまで広がっているんだね」

「僕たちには、僕たちに奉仕する召使いがいるけど、

彼らは他の人々に奉仕しているんだね」

「僕たちは自分たちの食べ物を買うけど、

彼らは自分たちの食べ物を育てているんだね」

「僕たちの家のぐるりには、僕たちを守るための壁があるけど、

彼らには守ってくれる友だちがいるんだね」

 息子の返事に、父親は言葉を失いました。そして、息子はこういいました。

「お父さん、僕たちがどんなに貧しいかを見せてくれてありがとう」

 私たちは、自分が持っているものを忘れて、

自分が持っていないものばかりを気にしてしまいます。

ある人にとってはどうでもいいものが、

別の人にとってはなくてはならないものである事もあります。

これはすべてそれぞれのものの見方に依っているのです。

 もし私たち全員が、「もっと欲しい、もっと欲しい」とイライラするのではなく、

与えられたものの恵みに感謝するようになったら…?と思いませんか。

毎日毎日、私たちに与えられてるものすべてを喜びたいですね。

特に友だちを。

かすが幼稚園の米川園長先生からメールでいただいた文を、許可をいただきそのまま転載させていただきました。「世界がもし100人の村だったら・・・」と同じく、出典不明のメールで広がっているようです。

私は最近気づきました。
100人村もこの文もすべて、「他人と比較して」自分が幸せなのかどうかの判断をしています。
しかし、本当の幸せとは、他人がどうだからということとは関係なしに、自分の基準で幸せなのかどうかを判断するのが、さらにすすんだ考え方ではないかと思うようになりました。

それを一番良く表現している言葉があります。
大リーグで活躍しているイチロー選手の言葉です。
首位打者が取れるかどうか、記録争いをしている最中での新聞記者のインタビューに対して
イチロー選手はこうコメントしていました。

「他人の絡むものを気にしても仕方がない」

つまり、自分は年初に立てた自分の目標数字に向かって進んでいるだけで
他人が絡んで競争するという記録にはまったく関心がない、ということです。

「競争」というのは、まだまだ次元の低いレベルの行動であるように思います。
他人と比較した成績は、他人の成績の如何によって変化します。
しかし、自分という基準のなかでの目標に向かっての努力は、まったく他からの影響を受けません。
自分の目標が達成できたかどうかが、一番大切なのです。

自分が幸せかどうかという基準も、「他人に比べて」という基準を持てばそれは
「自己満足」の世界にしかありません・・・。

「100人村」や「豊なのは誰?」という基準以上に、すべて自分がどう感じているかという基準で
生きていければ、もっと素晴らしいのではないかと思います。


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