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心の窓 20.魔法の言葉

魔法の言葉

何をやらせても

「どうやるの?」「やってやってー」

「こうしてごらん」といっても

「できなーい」。

これは、「こうしなさい」「ああしなさい」とまわりが指示ばかりしていることが原因です。

そして子供のすることに注意ばかりしていることが、

反対に子供の自主性を阻害し、自身を失わせていることが多いのです。

自信をつける方法は

「判断力をつけること」です。

ではどうすれば判断力がつくのでしょうか。

それは魔法の言葉

「まかせるよ。思ったとおりにやってごらん」

子供がチャレンジしたけど思うように行かなかったとき

「やって」「できない」と言ってきたときに繰り返しこの言葉を使うことが大切です。

ただし、結果については認め、ほめて上げることは忘れないでください。

もし、結果が思わしくなくてもチャレンジしたことを誉め、

それから注意する点をいってあげる。これを繰りかえしてあげてください。

幼稚園でこの言葉を使い始めたとき、その素晴らしい効果に驚かされました。

この「魔法の言葉」。

是非家庭でも使ってみてください。

今回も、かすが幼稚園の素晴らしい本からの引用です。

会社でも上司から指示されないと動けない人がいます。
私が大学時代にアルバイト(ビルの工事現場)していた先での出来事。
超一流大学の学生で頭は良いんだけど、上からの指示があるまで、
まったく何もしない学生がいました。
アルバイトってこんなものかな、と思いつつ回りを見ると
一流ではない大学の学生が、空いた時間に掃除をしたり、片付け物をしたりと
一生懸命自分で工夫をしながら、自分から仕事を見つけている学生もいました。

時給は同じですが、この学生が会社に入って上司になったとき、
部下はついてくるだろうな、と思いました。
なにもしなかった学生は、一流大学ですから出世は早いかもしれませんが、
もし、社長になったとき、誰の指示を待つのでしょうか。
自分で判断しないといけないのです。

子供のうちから自分で判断して、まずは失敗してもいいから
いろいろチャレンジしてみる習慣をつけさせることが、
一番大切な教育ではないかと思います。

「決心することが社長と大将の仕事である」

と松下幸之助さんも言っています。
ある方がこのように書いていました。

朝起きたとき、お母さんや奥さんから
「パンとご飯とどっちがいい?」と聞かれて、
「どっちでもいい」と答えていませんか?

その後、「今日は何が食べたい?」と聞かれて、
「何でもいいと」と答えていませんか?

お昼を食べに行ったとき、友人が注文したのを聞いて、
「私も同じやつ」と答えていませんか?

考えてみると、私たちは毎日、多くの決断を迫られています。
そのとき、決断せずに逃げていることはないですか?


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心の窓 19.信念

信念

もしも

あなたが敗れると考えるなら、あなたは敗れる

あなたがどうしても考えないなら、何一つ成就しない

あなたが勝ちたいと思っても立てないと考えているなら、あなたに勝利はほほえまない

もしも

あなたがいいかげんにやるなら、あなたは失敗する

われわれ場この世界から見出すものは、成功は人間の意志によってはじまる

すべては人間の精神状態によってきまるということだ

もしも

あなたが脱落者になると考えているなら、あなたはそのとおりになる

あなたが高い地位に上ると考えているなら

勝利を得る前に必ずできるという信念を持つべきだ

人生の戦いは常に強い人早い人に歩があるのではない

いずれ早晩勝利を獲得する人は、

私は出来るんだ

私は出来るんだ

私は出来るんだ と考えている人だ

ピアノ調律に行ったときに、ピアノの前に立派な毛筆でかかれていたものを
写させてもらいました。
気に入った文章なので、そのおうちのおばあさんが自分で書いたとのことでした。
今も人生をしっかり前向きに生きているおばあさんだそうです。

文章はどなたのものかは分かりませんが、この文章を読んで
仕事に限らず、どんなことにも自分に自身をもって
信念をもって生きていきたいと思いました。


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心の窓 18.物は考え様

物は考え様

松下幸之助さんが、ある時、

「成功の要因は?」と聞かれてこう答えられたそうです。

「成功の理由には三つある。ひとつ目は、父の商売がダメになり、
私はどん底の貧乏を味わったからだ。

 二つ目には、私は小学校中退で働き、学歴がなかったからだ。

 三つ目に、私は体が弱かったからだ。これが、私がここまで会社を

創業発展させることができた理由だ」

 上記の三つは、普通ならばどれも失敗の要因に挙げるものばかりです。

「私にも、もっと資産があったらなぁ」、

「もっといい大学を出てれば出世できたのに」とか、

「病気がちでなかったらもっと働けるのに」、

よく聞く話です。

 ところがそれを松下さんは成功の要因だといわれる。

理由を聞くと、

「どん底の貧乏だったから、お金のありがたみが痛いほどわかったし、

一所懸命働く事ができた。もし貧乏でなかったら、中途半端にしか

働かなかっただろう。

 また学歴がなかったから、どんな人のことばも先生のことばに聞こえた。

もし、大学まで出ていたなら、人のことばに謙虚に耳を貸さなかっただろう。

体が弱かったから、仕事を人に任せるほかなかった。

もし、健康だったら何でも自分が、と思っていただろう。

幸いなことに天は自分に貧乏、無学歴、病弱な体を与えてくれた」

 私たちはなかなかここまで達観できないかもしれません。

しかし、やはり物は考え様。

砂漠で水筒に水が半分。

「もう半分しかない。ダメだ」か、

「まだ半分ある、さあ歩こう」か、です。

かすが幼稚園の米川先生からメール配信していただいた「子育てコラム」からの転載です。
同じ出来事でも、考え方を変えるとこんなに違ってくるんですね。
特に松下幸之助さんは、素晴らしい人材も育ててきました。
これは、体が弱かったからこそ、人を使い、人の長所を伸ばしていけたからだと思います。

あと、松下幸之助さんに多大な影響を受けた方に、京セラの稲盛会長がいらっしゃいます。
幸之助さんの講演会で
「成功の秘訣を一言でいうとなんですか?」
という質問があって、
「成功の秘訣は、成功したいと思う強く思うことだ」
と答えたのを、ほとんどの人は冗談かと笑い飛ばしたのに対して
稲盛会長は、体中に電気が走るほど感動したそうです。

「思いは実現する」

これは、最近特に私が思うことです。


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心の窓 17.思いやり 

思いやり

思いやりとは、誰かが何かをかわいそうに思い

その苦しみと原因をなくそうと努力することだ。

何かの本に書いてあった言葉です。
本当の思いやりとはこういう事なんですね。
つまり「かわいそう」と思うだけではダメで、それを実行にうつさないと
本当の思いやりではないということです。

妻が、スーパーに行って子供にソフトクリームを食べさせていました。
あるとき、近くでソフトクリームを食べていた兄弟の弟のクリームが
ボトリと落ちてしまい、店中に響くくらいの大声で泣き始めました。
お母さんはどこかへ行っていないようです。
お兄ちゃんは自分のクリームを食べるのに一生懸命で
弟はますます泣くばかり。

その場所にいた多くの子供連れのお母さん達が、
「仕方ないわよねェ~」といってすーっと波が引くようにいなくなってしまいました。
そんなときどうすればいいでしょう。

他人が変わりにもう一つ買ってあげるのはやりすぎかもしれません。
お店によっては、もう一つサービスで作ってくれる場合もあるようですが
そうじゃない場合、傍観しているだけではなく、やっぱり子供のそばに行って
「お母さんはもうすぐ来ると思うよ。もうちょっとガマンして待ってようね」と
一言声をかけて上げればよかった、と妻は言っていました。
結局、すぐお母さんが戻ってきてもう一つ買ってあげたようです。

しかし、目の前で起こる出来事は、すべて自分に何かを気づかせるために
「起こされている」ものだという気がしてなりません。
この出来事で、私もこの「苦しみと原因をなくそうと努力することだ」
という言葉を思い出しました。
どんなことも、まず「行動」が大切なんですね。

「みつお」の言葉に、

「批判したけど、自分にできるかな」

というのがあります。
テレビや雑誌で人を批判する場面をよく見ますが、
それではその人の立場になったとき、自分に果たしてできるだろうか
という視点でものを見ることが大切なような気がします。
これも「行動」ですね。


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心の窓 16.三年峠

三年峠

 昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

ある日、おじいさんはいつものように山へ仕事に出かけました。

その日は、三年峠という峠を越えていかねばなりません。

朝、出る前におばあさんはこういいました。

「おじいさんや。あの三年峠には気をつけるんじゃよ。

あそこで転んだのものは、3年で死んでしまうという言い伝えがあるんじゃからなぁ」

おじいさんが三年峠にさしかかると、いつもより慎重に歩きました。

「右足の次は左足」というあたりまえのことを意識しすぎてコチコチになり、

ついに足がもつれて転んでしまいました。

「これはしまった。大変だ」とおじいさんは慌てて家に帰りおばあさんに報告しました。

(ここからストーリが2つに別れます)

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ストーリー1

おばあさんはたいそう驚いて、おじいさんを責めました。

そして、おじいさんとおばあさんは毎日手を取り合って泣き暮らし、

そのストレスから、体のあちこちに支障がではじめ、

ついに三年を経たずにおじいさんは亡くなってしまいました。

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ストーリー2

おばあさんはたいそう驚きましたが、そのうちニコッと笑ってこう言いました。

「なあおじいさんや。人間はいつかは必ず死ぬわなぁ。

3年後に死ぬと決められるとそれもつらいわなぁ。

でもよく考えてみると、三年峠で転ぶと3年後に死ぬということは、

あと3年は生きられるという保障を得られたようなものじゃわ。

わっはっは!

おじいさんや、もう一度三年峠に行っって転んでいらっしゃい。

そうすれば6年生きられるわい。

あと2回転べば9年じゃ。こりゃめでたいめでたい。」

おじいさんはさっそく三年峠に行き

コロコロ、コロコロ転び、ついに天寿をまっとうしました。

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このお話を知り合いから聞き大きな感銘を受け、
今回ストーリーを二つに分けて私なりに脚色してみました。
三年峠で転ぶということは、人生でつまづくということです。
普通に自然に歩けばよいものを(自然に人生を歩めば良いものを)
意識して自分の思うことと違う歩き方(生き方)をするとつまずいてしまいます。

人生でつまづきはつきものです。
失敗は誰にでもあること。そのあとが大事なのです。
転んだということをずーっと後悔し、三年峠という場所があることを恨み
自分の人生の期限が短いと嘆き、悲しんで一生を送るのも人生。

人間はいつかは必ず死ぬ運命にあるということを理解し、それが明日ではなく
3年後だということに感謝し、さらにそれを前向きに知恵を使って生きるのも人生。

どうせなら、限りある人生を前向きに楽しく送ったほうがいいに決まってますよね。


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