心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓 「18歳の遺書」

「18歳の回天特攻隊員の遺書」

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。本当ですよお母さん。少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。

こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。

しかしお母さん。

考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好だった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。

だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です。

***

こんな時代が二度と来ないように、私たちはしっかりと記憶にとどめておきたいと思います。
アンドレ・ギャニオンの「愛につつまれて」の名曲はあまりにも切ない・・・


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心の窓 「日本航空」

1

これは日本航空が経営危機で、世間に心配されていた頃、
ある飛行機を利用した乗客の、機内で体験されたお話をシェアさせていただきます。

機長によるアナウンスが入りました。

このアナウンス、
とても心温まる素敵なものでした。

このような内容でした。

「えー、機長の○○でございます。
 当機はまもなく成田国際空港に着陸いたします。

 小さなお子様をお連れのお客様、
 お子様はちゃんとお隣にお座りでしょうか?

 迷子になっていないでしょうか?

 当機はジャンボ機で、貨物室、客室1階、2階、
 ベッドルームを入れると4階建てになっております。

 貨物室やベッドルームには秘密の扉、
 通路を通って行くことができます。

 これらは秘密ですので、
 皆さまにお教えすることはできませんが、
 でもどうしても知りたいという方は、
 ぜひお近くの客室乗務員にお尋ねください。

 中でも、気の弱そうな客室乗務員に
 声をかけてみてください。

 もしかしたら、教えてくれるかもしれません。

 しかし、私パイロットを16年間しておりますが、
 未だかつて気の弱い客室乗務員に会ったことは一度もありません」

乗客がチラホラと笑い始めます。

「これらの秘密の扉ですが、
 たまに見つけて入り込んでしまい、
 迷子になってしまうお子様がいらっしゃいます。

 もし、お子様が迷子になってしまい、
 見つけられない場合は、
 お近くの客室乗務員にお知らせください。

 いったん皆さまに当機をお降りいただき、
 CA、パイロット総出で大捜索いたします。

 そして見つかった際には…
 いったん、日本航空でお預かりし、
 10年後に立派な客室乗務員、
 またはパイロットとしてお返しいたします」

(乗客笑顔)

「えー、昨年の夏休みには、7名のお子様が
 迷子になり、現在、日本航空でしっかりと
 訓練中でございます。

 最後になりましたが、
 このように日本航空が業務を続けていけるのは、
 本日の444名の乗客の皆さまをはじめ、
 国民の皆様のおかげでございます。

 誠心誠意、社員一同頑張って参りますので、
 今後とも日本航空をよろしくお願い致します」

(乗客一同、感動)

「それではまもなく
 成田国際空港に着陸いたします」

日本人パイロットによる
こんなにユーモアのあるアナウンスは、初めて!

最初はふつうに『ふんふん』と聞き流している程度でした。

しかし、どんどん周りの乗客が耳を傾けており、

最後は全乗客そのアナウンスに聞き入ってしまいました。

私は二階席でしたが、
一階席では、笑い声や拍手があったようです。

アナウンスが終わった後、
私と妹はもちろん拍手。

ほんとうに心温まるアナウンスでした。

この方は、会社の経営状態が悪くても、
会社の信用回復のために、会社を愛して
仕事をされているんだと思います。

それがとても伝わりました。

出典元:ゆるゆる倶楽部 


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心の窓 「戦艦大和」

「若者よ、君たちが生きるきょうという日は
        死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」
       
           八杉康夫(戦艦大和語り部) 
 
大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。
なおも攻撃が続けられ、
魚雷が的中した時は震度5にも感じられるほど激しく揺れました。
次第に船は傾いていきます。

砲術学校では、戦艦は15度傾いたら
限界と習ってきましたが、
25度、30度とどんどん傾いていきます。

それでも、戦闘中は命令がない限り 
持ち場を離れることはできません。

その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
これが事実上「逃げろ」という意味です。

すでに大和は50度ほど傾いていましたが、
この時初めて、
「大和は沈没するのか」と思いました。

それまでは本当に
「不沈戦艦」だと思っていたのです。

もう海に飛び込むしかない。
そう思った時、衝撃的な光景を目の当たりにしました。
私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと、
自分の腹を掻っ捌いたのです。
噴き出す鮮血を前に、私は凍り付いてしまいました。

船はますます傾斜がきつくなっていきました。
90度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。
 
 * * * *
飛び込んだのも束の間、
沈む大和が生み出す渦の中へ巻き込まれてしまいました。

その時、私の頭に過ったのは
海軍で教わった「生きるための数々の方策」です。

海軍に入ってからというもの、
私たちが教わったのは、ひたすら「生きる」ことでした。

漂流した時は体力を消耗してしまうから
泳いではならない……。

陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では
「お国のために死ね、 天皇陛下のために死ね」
 などと言われたことは一度もありません。

ひたすら
「生きること、生き延びること」
を教わったのです。

だから、この時も海の渦に
巻き込まれた時の対処法を思い返し、実践しました。

しかし、どんどん巻き込まれ、
あまりの水圧と酸欠で次第に意識が薄れていきます。

その時、ドーンという轟音とともに
オレンジ色の閃光が走りました。

戦艦大和が大爆破したのです。
そこで私の記憶はなくなりました。

 * * * *
気づいたら私の体は水面に浮き上がっていました。

幸運にも、爆発の衝撃で水面に押し出されたようです。
しかし、一所懸命泳ぐものの、
次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。

「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
なんともいえない恥ずかしさが込み上げてきました。

この期に及んで情けない、
誰にも聞かれてなければいいが……。
 

すると、すぐ後ろに
川崎勝己高射長がいらっしゃいました。

「軍人らしく黙って死ね」
と怒られるのではないか。
そう思って身構える私に、
彼は優しい声で
「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」
と言って、自分がつかまっていた丸太を押し出しました。
そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。
 おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

4時間に及ぶ地獄の漂流後、
駆逐艦が救助を始めると、
川崎高射長はそれに背を向けて、
大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。

高射長は大和を空から守る最高責任者でした。
大和を守れなかったという思いから、
死を以て責任を取られたのでしょう。

高射長が私にくださったのは、
浮きの丸太ではなく、
彼の命そのものだったのです。

 * * * *
 
昭和60年のことです。
いつもピアノの発表会などで
お会いしていた女性から喫茶店に呼び出されました。

彼女は辺見さんが書かれた
『男たちの大和』を取り出し、こう言ったのです。

「八杉さん、実は川崎勝己は私の父です」
驚いたなんていうものじゃありません。

戦後、何とかしてお墓参りをしたいと思い、
厚生省など方々に問い合わせても
何の手がかりもなかったのに、
前から知っていたこの人が
高射長のお嬢さんだったなんて……。

念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
手を合わせることができましたが、
墓石には「享年31歳」とあり、驚きました。
もっとずっと年上の人だと思い込んでいたからです。

その時私は50歳を超えていましたが、
自分が31歳だった時を思い返すと
ただただ恥ずかしい思いがしました。

そして、不思議なことに、
それまでの晴天が急に曇天となったかと思うと、
突然の雷雨となり、
まるで「17歳のあの日」が巡ってきたかのようでした。

 
天皇も国家も関係ない、
自分の愛する福山を、
そして日本を守ろうと憧れの戦艦大和へ乗った感動。

不沈戦艦といわれた大和の沈没、
原爆投下によって被爆者になる、

 
そして、敗戦。

 
そのすべてが17歳の時に一気に起こったのです。
人として生きたなら、
その証を残さなければなりません。

大きくなくてもいいのです。
小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。
戦友たちは若くして戦艦大和と運命を
ともにしましたが、
いまなお未来へ生きる我々に大きな示唆を
与え続けています。

復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。
それはいま使命感へと変わりました。

私の一生は私だけの人生ではなく、
生きたくても生きられなかった
戦友たちの人生でもあるのです。
うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません。

未来の日本を託す若者たちが歴史を学び、
真の日本人になってくれるよう
私は大和の真実を語り続け、
いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」
と胸を張りたいと思います。

***

『致知』2006年8月号
特集「人学ばざれば道を知らず」より転載させていただきました


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心の窓 「サイオンスの法則とメラビアンの法則」

私の友人のブログから、許可をもらって転載させていただきました。
以下転載です。

今日はね、
サイオンスの法則(ザイオンス効果)と言うのを
教えるね。

これはね、
単純接触効果とも呼ばれるんだけど、
人間のある対象の好感度は
その対象との接触回数に依存する
って言うものなんだ。

ちょっと難しかったかな?

あのね・・
例えば、クラスメートを好きになっちゃうことが
この法則に当てはまる部分があるのね。

初めは、別に好意などを寄せてなかったけど
毎日会って、毎日接触しているうちに
だんだん好きになって行っちゃうって言う感じ。
わかる?

同僚でも、上司でも、
流行りの歌でもそうだけど
たくさん会ったり、観たり、聴いたりしていると
好きになっていくってって事なの。

だから君が、なんとなくいいな~って思っている人がいたら
積極的に会う回数、接触する回数を増やすのが効果的。

メラビアンの法則と一緒に
是非覚えておいてね。

ただ・・・
これは注意が必要で
直感で感じるメラビアンの法則と違って
ある意味だんだん洗脳されるというか
教育されるというか・・・はまっていくというか・・
そういうのがあるので、間違った方向に行くと
あとになって・・・
何でこんな人を好きになっちゃったんだろう?
って我に帰る様な事もあるので
気をつけてね。

メラビアンの法則について話すね。

第一印象の法則と言ってもいいかな・・・

あのね・・・
第一印象は
視覚的情報から55%
聴覚的情報から38%
言葉の情報から7%
伝わって成立するんだそうだ。

つまり、見た目であったり行動であったり
仕草であったり・・・相手の目で捕える情報で
君の印象が決定されてしまうって事。

君の声や話の内容よりもはるかに
見た目や仕草が印象を決定づけるって事。

これはね・・・凄く大事な事だから覚えておいてね。
第一印象で好印象を残すと
相手は君のいいところを探そうとする。

逆に印象が悪いと、悪いところばかり探して
印象の悪い理由を多くしようとするんだ。

そして・・・もっと気にして欲しいのは
第一印象はたった15秒で決まっちゃうって事。

これから就職活動する人は絶対忘れてはいけない内容だよ。
出会いはワンチャンスオンリーだと僕は思っているの。

初めに、いい印象を持ってもらえると
いい人、優しい人、素敵な人、親切な人・・・
って言う感じで、君のことを全然知らないのに
そうやっていい方向に君の像を作り上げてくれるんだよ。

凄くない??
凄いよね。

君の全てを知ってるわけじゃないのに
君の心を覗くことも、君の性格や過去を知ってるわけでもないのに
勝手にいい人に仕立て上げてくれるんだよ。

ははは・・・
第一印象って凄く大事なんだよ。


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心の窓 「パパからのメッセージ」

これは実話です。
是非、お読みください。

「パパからのメッセージ」

私はつい先日に同い年(21歳)の彼と結婚しました。

12月には長男が産まれます。

まず私の大好きなパパの紹介をさせて下さい。

私のパパは同い年のママと19歳の時に結婚して、その年の冬に私を産みました。

いわゆる出来ちゃった結婚ですね(笑)

パパは高校へは行かずに、16歳の頃からバイクのレーサーを目指していたみたいですが、怪我でプロの夢は諦めたみたいです。

そんなバイクが大好きなパパが選んだ仕事がバイクで書類を配送する仕事でした。(当時はテレビ局のプレス(?)と私には言っていました。)

ママと結婚する時に、両方の両親からは大反対されたみたいです。

普通に考えて、家族を支える仕事としては、事故とか心配になりますよね。

でもパパはママの両親に

「自分は命を懸けて仕事をして、命を懸けて家族を守るんです!それが自分なんです!」

と言って反対を押し切ってママと結婚したそうです。

でもそんな言葉が無残にも現実になってしまったんです。

パパは休みの日は絶対に私と遊んでくれました。

ご飯も一緒に家族全員で食べていました。

私のワガママも全部聞いてくれて、私が自転車の練習を始めた頃(4歳)には朝から夕方までずっと公園で一緒に練習してくれました。

雨でも晴れでも雷が鳴っても、絶対に保育園に迎えに来てくれました。

亡くなる前は、パパと毎日お風呂に入って、パパの細い腕枕で寝ていました。

忘れもしません。私が5歳、弟が3歳のパパが24歳の誕生日でした。

久しぶりに行ったツーリングの途中でガードレールにぶつかって、亡くなりました。

体を強く打って、即死だったみたいです。

病院に行った時に見た、白い布(?)を取ったパパの顔は、綺麗で、不思議な事に笑っていました。

幼かった私は「死ぬ」という意味が理解出来ずに、ただずっと泣いているママと、パパとママの親族、白い布で顔を隠した、暗い部屋に寝ているパパを弟と不思議そうに見ていた記憶を鮮明に覚えています。

でも亡くなってからお葬式が終わるまでは不思議と泣いた記憶がないんです。

パパにもう会えなくなるのは祖父母から聞いて多少理解していましたが、実感がなかった気がします。

お葬式が終わって、普通の生活に戻り、毎日迎えに来るパパが保育園に来ないで、迎えに来たママと弟に

「なんで今日はパパは来ないの?」

と聞いた時に

「パパはお空に行ったんだよ。

これからはママと春樹と3人で

一緒に暮らすんだよ。

パパはもういないんだよ。」

と目を真っ赤にしたママに言われて

「やぁだ~。

今日も明日もパパとバイクで帰って

パパと一緒にお風呂に入るの~!!

パパとまた会えるの~!!」

と言ってその日はずっとパパの写真を握り締めて泣きながら寝ました。

私はその後の16年間、ずっとパパは事故で死んだんだと思っていました。

結婚式前日。

私は、式中に見えたら泣いてしまうので、

「パパの遺影は最後の手紙まで、

パパの席に置いておいてね!

パパも私が笑ってる顔が1番

好きだったから!」

とママに伝えました。

ママは

「OK。明日は頑張ってね!

パパも天国から見てくれてるよ!

泣くなよ!Fight夏海!」

とすぐにメールを返信してきました。

この時点で私は泣きそうでしたが、翌日の式に読む、両親への感謝の手紙を書きました。

ママに読む文章は、凄い長く書きました。でもそれ以上にパパに読む文はママの倍以上書きました。

そして翌日、ついに式が始まります。お互いの友達や親戚、旦那の職場の人達、こじんまりした、手作りの結婚式でしたが本当に温かい結婚式が進んでいきました。

そしてついにフィナーレの両親への手紙を読む時がきました。

司会も私の友達にお願いしていて、

「さあ、ここで新婦から両親への手紙です。

ご両家のお父様、お母様、新婦様の前へ

お願いします。

笑顔で感謝の気持ちを伝えましょう!」

旦那の義父母に挨拶をして、ママへの手紙を読みます。

本当に号泣でした。

ママへの文章が終わり、パパへの文章の手紙を手に取ります。

「パパへ・・・、パパは・・・

パパは私に凄い優しくて・・・」

言葉が詰まりました。

あんなにたくさんたくさん書いたのに・・・。

ママの手にはパパの遺影。

ママの大粒の涙がパパの遺影に落ちて、まるで遺影のパパが泣いているみたいでした。

「パパ・・・、パパ・・・、

・・・・・」

ふと司会の友達を見ると、

「何分でも何時間でも時間をかけていい!

天国の大好きなパパに気持ちを伝えろ!

頑張れ!」

とカンペが出ていました。

振り絞って声を出しました。

「パパ・・・、ずっとずっと大好き

です・・・。パパ・・・」

もう何も言えませんでした。

伝えたい事はたくさんあるのに・・。

そんな時です!

「なっちゃん!なっちゃ~ん!」

「えっ?パパの声???」

幻聴かと思いました。

司会の友達が、

「さぁ~ここで、サプライズです!

新婦のお父様から天国よりお祝いの

メッセージが届いて・・・届いており・・・

ますので・・・み、皆様も正面の

大型ビジョンを、ご、ご覧下さい・・・。」

司会の友達も泣いていました。

私は訳もわからず大型ビジョンに目を向けると、そこには大好きだった亡くなる前のパパの姿が映っていました。

気付くとママが横にいて、ギュッと手を握り、

「目そらしちゃダメだよ!」

なぜか、パパは病院のベットで当時お気に入り

だった、アディダスのジャージ姿で映っていました。

「ママ?話してい~い?」

「もう始まってるんだけど(笑)

早く言いなよ!」

懐かしい・・・。パパの声だ・・・。

「えぇ~、なっちゃん!

結婚おめでとう!」

私はこの時、まったく意味がわかりませんでした。

「えぇ~、なっちゃん!

結婚おめでとう!

大人になったなっちゃんはママに

似て美人になってるかな?」

この時私は横にいたママに

「なんで?なんで?」

と何回も聞きましたが、号泣してるママに頭をビジョンにグッと向けられて、

「黙って見る!」

と怒られました。

「なっちゃん、パパは今、病気と闘ってます。

なっちゃんはまだ小さいからわからない

かもしれないけど、パパの病気はとっても

大変な病気みたいです。

なっちゃんが大きくなるまで一緒に

いれないかもしれません。

ふぅ~・・・。

パパは、なっちゃんが大好きです!

本当に大好きで大好きで、すっごい

大事なパパの宝物です。

なっちゃん・・・たくさんワガママ

言うけど、パパ、なっちゃんの事

 大好きだからなんでもワガママ

 聞いてあげたい!

 でもね、でもね・・・

 次になっちゃんがお願いするワガママは

 パパ、聞いてあげれないかもしれない・・・。

 グスッ・・・・。

 ママ~!泣くなよ!

 笑顔で撮るって約束したじゃん!

 ほらっ笑って!映しちゃうぞ~!」

「やめてよ~・・・グスッ・・。」

ママも若い・・・。懐かしい・・・・。

「なっちゃん!

 パパは病気で、あと、どんくらいかなぁ~?、

 なんて言えばなっちゃんには伝わるかな~?

 ・・・あと、なっちゃんが30回パパと

 一緒に寝るぐらいしか出来ないんだって!

 でも、お薬飲めばもっともっとなっちゃんと

 春樹と一緒にお話たくさんできるみたいだけど、

 会えるのはお家じゃなくて病院みたい。

 そんなのパパは嫌だから、お薬飲まないで

 なっちゃんと春樹とママとお家にいる!

 なっちゃんは毎日ワガママ言うけど、

 パパも最後になっちゃんにワガママ言わせて!」

一回映像が止まりました。

ママが司会の友達からマイクを受け取り、話し始めました。

「本日はこのようなサプライズ企画をして

 いただきまして、ありがとうございました。

 私の旦那、新婦の父親は事故で亡くなりましたが、

 実はそれ以前に末期ガンだったのです。

 亡くなる前に「大好きな夏海と春樹の為に

 結婚式のスピーチビデオを撮らせろ!」

 と希望を受けまして残しておりました。

 そして大好きなバイクに、亡くなる前に

 もう一度乗りたいとの希望で、お友達様方と

 一緒に出掛けた際に発作が起き、事故を

 起こしまして亡くなりました。

 お祝いの席でこのような暗いお話はと

 お伝えましたが、新郎の彰君からの提案で

 このような場を設けさしていただきました。

 本当にありがとうございます。

 申し訳ありませんが、もうしばらくVTRが

 ございますので、お付き合い下さいませ。」

知らなかった・・・。

日帰りの検査入院した時に撮っていたそうです。

だってパパが保育園に迎えに来なかった日は

亡くなるまで一日もなかったし。

胸が締め付けられました・・・。

VTRは再度、スタートしました。

「なっちゃん、パパはずっとなっちゃんが

 大好きだよ!

 なっちゃんとお酒一緒に飲みたかったなぁ~。

 なっちゃんの子供抱っこしたかった!

 なっちゃんと春樹の成長ずっとずっと

 見たかった!でもごめん・・・。

 それはできないや・・・。

 でもね、なっちゃん、これだけは

 パパと最後の約束!・・・

 グスッ・・・グスッ・・・。」

パパが泣いてる顔、初めて見た・・・。

「・・・パパがいなくてもママの言う事を

 聞く事!

 春樹と一緒にママのお手伝いをする事!

 パパとママをずっとずっとずっとずっと

 ・・・・・・・、大好きでいてね!

 パパが・・・・・死んでも、わ、わ、

 忘れないでね!

 グスッッ・・・、

 大好きなママのお腹に宿ってくれて本当に

 ありがとう!産まれてくれてありがとう。

 短かったけど、たくさんチュウしてくれて

 ありがとう、

 お風呂入ってくれてありがとう!

 なっちゃんは選んだ人とずっと一緒に

 幸せに暮らすんだよ!

 本当に今日は結婚おめでとう!

 なっちゃん、大好きだよ!

 ご、ご、ご、ごめん・・・ね。」

VTRが終わりました。

友達はみんな泣いていました。

私もずっと泣いていました。

VTRが終わった途端、全員がビジョンに向かってずっとずっと拍手をしてくれていたのが忘れられません。

今でもパパは生きていると思います。

最後にパパに話しかけたのは、

「パパ~、今週のお休みはカラオケだよっ!」

「いいよ~、パパがバイクでお外行って

 帰ってきたらみんなで行こうね。」

あの時のパパの笑顔は一生忘れないと思います。

パパ、ありがとう


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