心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓メルマガ版 57 「孫正義の言葉」

孫正義の言葉

ITバブルが崩壊した。
99%の人はネット株を売った。
もっと下がる、と片っ端から売った。
だからITバブルは崩壊して、ソフトバンクの株も約100分の1に下がった。
株主総会でもむちゃくちゃ言われました。

そのときの株主総会。
まさにこの部屋ですよ。
全員、目が三角になっている。

入るなり
「ペテン師!」
「うそつき!」
「泥棒!」

もうめちゃくちゃですよ。
それでも私は一生懸命に説明しました。
6時間だったか、おそらくソフトバンクの株主総会で最長です。
休憩なしでぶっ続けでやりました。
一人で全部受けて立った。
いっさい逸らさないで、真正面から答えた。

最後には非難ごうごうだった何千人かのうち、3分の1以上の人がハンカチを出して泣いていました。

それは総会の最後に、一人のおばあさんの発言があったからなんです。

「私は主人の遺してくれた退職金の1000万円全部でソフトバンクの株を買いました。

それは孫さん、あなたの夢を信じたから、あなたのその夢と志を信じたからです。

遺産すべてを注ぎ込んで、1000万円が10万円になってしまった

だけど、私に悔いはありません。

今日、あなたの話を直接聞いて、あなたの夢に賭けてよかったと、心から思いました。

信じていますから頑張ってください」

たまりませんでした。

その方の姿がいまでも眼に焼きついて離れないんです。

(孫正義リーダーのための意思決定の極意」より

最近ツイッターでソフトバンクの孫さんの言葉を読むようになりました。
私も経営者として学ぶものがたくさんありますが、それ以上に「人」としてどう生きればいいのかを教えてもらっているように思います。

孫さんの最近の言葉をいくつかご紹介しましょう。

〇弱音は吐くものではない。呑み込むものである。

〇16歳で単身渡米して米国の素晴らしさに感動すると同時に、生まれ育ち家族のいる日本のありがたみを再確認。将来日本の為に何かしたいと決意しました。

〇全ての試練は、成長の為の階段だ。登り続けるしかない。

〇努力しても報われないなあと感じ嘆く時、大抵の場合は、まだ本当の努力をしていない。

〇私は、上から目線の評論家をあまり高く評価しない。何故なら、彼等は高邁な理屈を唱える割に何等行動を起こさないから。「言うは易く、行うは難し。」そんなに偉そうに言うならやってみろと言いたい。私は突き進む。ボロボロになっても。

〇ガハハハハー。人生なんて一回きりだ。小さい事を気にしていては何も出来んぞ。誠の志さえあればいつか通じるわい。せめて百年後には。

〇やたらに個人攻撃的な批判をしてはならない。己の世界を狭くしてしまうから。

〇「出来ない」という言葉を安易に言ってはならない。その瞬間から努力が止まる。

〇人生には、いつか必ず終わりが来る。人間50歳を過ぎたら、今この場で終わったとしても悔やまない人生を過ごしていかねばならない。

***

どこのだれがつぶやいたかわからないようなツイッターの世界。でも、よい提案であれば「やりましょう」と即答し、即実行する孫正義さんの行動力は本当に素晴らしいと思います。

庶民の声が日本を変えていく時代がそこまで来ています。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 56 「奇跡のような出会いに感謝して」

奇跡のような出会いに感謝して

助産師の内田美智子さんは、連日この年末から年始にかけて新しい命を取り上げた。
その中には15歳の少女もいた。

分娩室で彼女は「痛い、痛い!」と泣き叫びながら、やっとのことで3000グラムを超える大きな赤ちゃんを産んだ。
妊娠にいたった経緯には、言うに言えない事情があった。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら、少女は「ママよ、私がママよ」と何度も語りかけていたそうだ。

しばらくして、ずっと寄り添っていた、30代後半だろうか、40代前半だろうか、若くして祖母になったばかりの母親に向かって言った。「ママ、ありがとう」

わずか50年前、約2000人の母親がお産の時に命を落としていた。内田さんが助産師になった30年前は300人、一昨年でも35人の母親が自らの命と引き換えに子供を産んだ。

死産もある。ある妊婦は10ヶ月目に入って胎動がしなくなったことに気付いた。診察の結果、胎児は亡くなっていた。でも産まなければならない。

普通、お産の時、「頑張って。もうすぐ元気な赤ちゃんに会えるからね」と妊婦を励ますが、死産の時には掛ける言葉がないという。泣かない子の代りに母親の鳴き声が分娩室に響き渡る。

その母親は内田さんに「一晩だけこの子を抱いて寝たい」といった。真夜中、看護師が病病室を見回ると、母親はベッドに座って子供を抱いていた。

「大丈夫ですか?」と声を掛けた看護師に、母親は「今、お乳をあげていたんですよ」といった。みると、母親は乳首から滲みでてくる乳を指に付けて、子供の口元に移していた。

「このおっぱいをどんなにか、この子に飲ませたかったことか。泣かない子でも、その子の母親でありたいと思うのが母親なんです」と内田さん。

父親・母親世代に内田さんは、「子育ては時間が取られるなんて思わないで。育てられるだけでも幸せなことなのよ」と語り、学校に呼ばれた時には、「お母さんは命掛けであなたたちを産んだの。だからいじめないで。死なないで」と子供たちに訴える。
「命が大切なんじゃない。あなたが大切なの」と。

ぴあの屋ドットコム 石山

※みやざき中央新聞2011年1月17日号社説より引用・抜粋しました。イジメに苦しむ子供たちの励みになればと思い、掲載させていただきました。
この新聞社は「いい記事しか書かない」地方新聞です。是非ご購読ください。1カ月1050円です。
http://miya-chu.jp
info@miya-chu.jp


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心の窓メルマガ版 55 「よかった探し」

よかった探し

「誰かの非難や悪口を言うことが習慣づいている親の子は、
同じように誰かの非難や悪口をいう子に育つ。

誰かのよいところを見つける習慣のある親の子は、
同じように誰かのよいところを見つけられる子に育つ」

これは、ふくしま国語塾をされている福嶋隆史氏が言った言葉です。
私もそのとおりだと思います。

昔、テレビアニメで「愛少女ポリアンナ物語」というのが放送されていました。
そこでとても印象的な言葉があります。

「よかった探し」

その日の良かったことを探して、家族とお話することです。

ポリアンナは、小さいときからお父さんとのコミュニケーションの中で
「よかった探し」というものをしていました。
そうしているうちに、どんな悪いことが起こっても、
よかったこととして考えるようになります。

彼女が孤児になって、とても辛い立場になっても、
いつもよかった探しをしていたからこそ、
周りの人もそれに影響うけて、
かたくなな気持ちを持っていた人たちと
良い関係を築くことができるようになりました。

良い言葉。
たとえば

「今日はいい日だ」。
「よかったね」。

このような言霊を毎日言うことで、気持ちもそのようになっていき、
周りにも波及させていくようになります。

親がこのような言葉をいつも言うことで、
間違いなく子供には「宝」を与えるはずです。
その子にとっては一生の財産です。

毎日の生活でも、ビジネスでも、
まずは人の悪口を言わない、良いところを見る。
そこから始めることがいいかもしれませんね。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 54 「お父さんのおべんとう箱」

お父さんのおべんとう箱

おとうさんがびょうきでなくなってから三年、
ぼくは小学一年生になりました。

おとうさんにほうこくがあります。
きっとみてくれているとおもうけど、
ぼくはおとうさんのおべんとうばこをかりました。

ぼくは、きのうのことをおもいだすたびにむねがドキドキします。

ぼくのおべんとうばこと はしがあたって、すてきなおとがきこえました。

きのうのおべんとうは、とくべつでした。
まだ十じだというのに、おべんとうのことばかりかんがえてしまいました。

なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、
それはおとうさんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。

おとうさんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくてかなしかったです。

おとうさんのおしごとは、てんぷらやさんでした。
おとうさんのあげたてんぷらはせかい一おいしかったです。

ぼくがたべにいくと、いつもこっそり、
ぼくだけにぼくの大すきなエビのてんぷらをたくさんあげてくれました。

そんなとき、ぼくはなんだかぼくだけが
とくべつなきがしてとてもうれしかったです。

あれからたくさんたべて空手もがんばっているので
いままでつかっていたおべんとうばこではたりなくなってきました。

 「大きいおべんとうにしてほしい」

とぼくがいうと、おかあさんが とだなのおくから
おとうさんがいつもしごとのときにもっていっていた
おべんとうばこを出してきてくれました。

「ちょっとゆうくんには、大きすぎるけどたべれるかな」

といいました。
でもぼくはおとうさんのおべんとうばこをつかわせてもらうことになったのです。

そしてあさからまちにまったおべんとうのじかん。
ぼくはぜんぶたべることができました。

たべたらなんだかおとうさんみたいに、つよくてやさしい人になれたきがして、
おとうさんにあいたくなりました。

いまおもいだしてもドキドキするくらいうれしくて
おいしいとくべつなおべんとうでした。

もし、かみさまにおねがいができるなら、
もういちどおとうさんと、おかあさんと、ぼくといもうとと
みんなでくらしたいです。

でもおとうさんは、いつも空の上からぼくたちをみまもってくれています。

おとうさんがいなくて、さみしいけれど、
ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、
おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます。

おとうさんのおべんとうばこでしっかりごはんをたべて、
もっともっとつよくて、やさしい男の子になります。

おとうさん、おべんとうばこをかしてくれてありがとうございます。
第4回「いつもありがとう」作文コンクール最優秀賞
広島市立中島小学校1年 片山悠貴徳(ゆきのり)君(7)
(朝日学生新聞社主催 シナネングループ共催)

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 53 「くじけないで」 

くじけないで

心の窓 53 「くじけないで」

もうすぐ100歳になろうとする柴田トヨさんの詩集がベストセラーになっています。
フジテレビの「とくダネ!」でも紹介されて大反響になっていますが、読んでみると不思議と心が暖かくなってきます。
ここでいくつか引用させていいただきますので、じっくりとお読みくださいね。

「目を閉じて」
目を閉じると
お下げ髪の私が 元気に かけまわっている
私を呼ぶ母の声 空を流れる白い雲
何処までも広い菜の花畑
92歳の今 目を閉じて見る ひとときの世界が とても楽しい

「返事」
風が耳元で 「そろそろあの世に行きましょう」 なんて猫撫で声で誘うのよ
だから私 すぐに返事したの
「あと少しこっちにいるわ やり残したことがあるから」
風は困った顔をして すーっと帰って行った

「先生に」
私を おばあちゃんと呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も しないでほしい
「柴田さん 西条八十の詩は好きですか? 小泉内閣をどう思います?」
こんな質問ならうれしいわ

「自分に」
ぽたぽたと 蛇口から落ちる涙は止まらない
どんなに辛く 悲しいことがあっても
いつまでも くよくよしていてはだめ
思いっきり蛇口をひねって 一気に涙を流してしまうの
さあ 新しいカップで コーヒー飲みましょう

「あなたに」
出来ないからって いじけていてはダメ
私だって 96年間 出来なかったことは山ほどある
父母への孝行 子供の教育 数々の習い事
でも 努力はしたのよ 精いっぱい
ねえ それが大事じゃないかしら
さあ 立ちあがって 何かをつかむのよ
悔いを 残さないために

「96歳の私」
柴田さん 何を考えているの?
聞かれて困ってしまいました
今の世の中まちがっている
正さなければ そう思っていたからです
でも結句 溜息をついて 笑うだけでした

「貯金」
私ね 人からやさしさをもらったら
心に貯金をしておくの
さびしくなった時は それを引き出して 元気になる
あなたも 今から積んでおきなさい
年金より いいわよ

「朝はくる」
一人で生きていくと決めた時から
強い女性になったの
でも 大勢の人が 手をさしのべてくれた
素直に甘えることも 勇気だとわかったわ
(私は不幸せ・・・・・)
溜息をついている貴方
朝はかならずやってくる
朝日もさしてくる筈よ

まだまだ、涙なしでは読めない詩がたくさんあります。
是非、お読みください。
(引用:「くじけないで」著者:柴田トヨ 飛鳥新社)

ぴあの屋ドットコム 石山


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