心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓メルマガ版 48 「街照者」

街照者

滋賀のショッピングモールに行ったときに、こんな言葉が書かれた看板を見つけました。

「照街者施設共同店舗」

私は、障害者の害の文字を必ずひらがなで

「障がい者」

と書くようにしていますが、この看板には驚きました。

「照街者」(街を照らす人)という意味ですよね。

この言葉を見て、知的障がい者のオリンピック

「スペシャルオリンピックス」の細川佳代子代表の講演を思い出しました。

「どんなに医学が進歩しても、

人間が生まれ続ける限り

人口の3%前後は障害のある子供が生まれる。

それはなぜかと言うと、

その子の周りの人たちに、

優しさ、思いやり、

を教えるための神様からのプレゼントだから・・・。」

障がいを持った子を持つ親御さんは

大変苦労をされていることと思います。

でも、細川代表の言われるとおり、

周りにいる私たちにとってはとても大切な存在だと思うのです。

私が子供の頃に比べて差別的な言葉はどんどん死語になっていき、

ハンディのある人たちに手を差し伸べる若者が増えてきました。

公共施設などは、昔より障がい者の利用しやすい環境になりつつあります。

優しさを気づかせてくれる大切な存在、

まさに、街を照らす人なんですね。

この言葉が広がっていけばいいですね。

みなさん、いかがですか?

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 47 「シークレットサンタ」

シークレットサンタ

ラリー・スチュワートは1948年にミシシッピー州で生まれました。

幼い頃に両親を亡くし、生活保護を受けながら貧しい暮らしをしたため、
1ドルでも多く稼ぐために必死に働いていました。

23歳で化粧品販売の会社を設立しましたが、
その年のクリスマスの直前に会社は倒産してしまいました。

多くの借金を抱え、8日間飲まず食わずで過ごしましたが、
空腹に絶えかねて、無意識のうちにレストランに入っていました。

気付けばもう食事は終わり、伝票を見て我に返りました。
お金など持っているはずはありません。
ポケットを探して、財布を落としたふりをしていました。
すると、そこへ店主がやってきました。

無銭飲食で警察に突き出されるだろうと覚悟しましたが、
店主は「落としてましたよ」と20ドル札を差し出しました。
当時のお金で2400円ほどです。

彼は店主の勘違いだと思い、
店主から20ドル札を受け取り、支払いを済ませました。

翌年、彼は再起を賭けて、警備保障会社を設立して一所懸命に働きました。
そして、結婚してささやかな幸せを手にしていましたが、会社は3年で倒産してしまいました。

27歳のクリスマス。彼は銀行強盗することを決意して銀行へ行きました。
銀行でお金を要求しようとすると、少女が窓口でお金を預けていました。
少女が預けていたのは20ドル札だったのです。

20ドル札を見た彼は、レストランで店主から20ドル札を受け取ったことを思い出したました。

彼はあの時の20ドル札が本当に落とし物だったのか?を知りたくなって、
銀行強盗を中止し、あのレストランへと向かいました。

『4年前のレストランを訪れた自分のことを覚えていますか?』レストランの店主に聞きました。
すると店主は、『クリスマスは誰でも幸せになる日なんだよ。メリークリスマス』と答えました。

あの時の20ドル札は店主からのクリスマスプレゼントだったと気付いたのです。

これまで、幸せになるために1ドルでも多く稼ごうとしていた彼は、
自分が成功することばかり考えていましたが、
あの20ドル札のおかげで、空腹をしのげ、
犯罪に手を染めずにすんだことに気付きました。

そして、他人に施すことの大切さを悟ったのです。

その後、会社に就職してセールスマンとし働きました。
貧しいながらも家族との幸せな生活を送っていました。

しかし、再び彼に不幸が襲いました。
務めていた会社が倒産して、解雇されてしまったのでした。

ある日、彼は売店に立ち寄りました。
その日は、31度目のクリスマスでした。

売店の店員は暗い表情をしていました。
彼はおつりとして受け取った20ドル札を店員に
「クリスマスプレゼント!」
と言って渡すと、暗かった店員の顔は明るくなりました。

シークレット・サンタが誕生した瞬間でした。

彼はその帰りに、銀行へ立ち寄り、預金を全額20ドル札で下ろしました。

そして、サンタクロースの格好で街に出かけ、
貧しい人を見つけては20ドル札を配って歩きました。

彼は素顔を隠し、正体を明かさず、20ドル札を配っていたため、
「シークレット・サンタ」と呼ばれるようになっていました。

翌年、彼は遠距離電話の会社を設立しました。
お金儲けのためではなく、遠く離れて生活している家族のためになればという
奉仕の精神で会社を設立したのでした。

他人のために働いていると、不思議と会社も順調に大きくなり、
家族のために家を買うことも出来ました。

会社はやがて年商10億円の大企業に成長しました。
彼は大富豪になっても、クリスマスになるとシークレット・サンタを続けていました。

2001年にニューヨークで同時多発テロが起こると、
その年のクリスマスにはニューヨークを訪れて20ドル札を配り、
2005年にアメリカ南東部でハリケーン被害が起きると、
ミシシッピーシューを訪れて20ドル札を配りました。

やがて、シークレットサンタは全米に知れ渡っていきました。

これまで匿名で続けていたシークレット・サンタは2006年に突然、正体を明かしました。
彼は食道癌で残り4ヶ月の余命宣告を受けていて、
「他人に施すことの大切さ」を世界中の人に伝えるためだでした。

シークレット・サンタが正体を明かした反響は大きく、
2日間で全米から7000通もの手紙が寄せられました。
その多くは、シークレット・サンタになりたいという内容でした。

その年のクリスマスも病におかされた体で、
シークレット・サンタとして街に現れ、20ドル札を配りました。

27年間で13万ドルを配った彼は、
2007年1月12日に58歳でこの世を去りました。

その年のクリスマスには赤い帽子を被り、貧しい人に20ドル札を配る、多くの
「シークレット・サンタ」が街に現れはじめました。

そして、シークレットサンタ活動は、全世界に広がっていったのです・・・。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 46 「水の輪廻」 

水の輪廻

心の窓46「水の輪廻」

川上から水が流れてきます。
とってもきれいな水です。
それをコップに汲んで飲みます。
全部飲みきれませんので、川下に流します。
すると、川下でものどの渇いた人がその水を汲みます。
それでも、飲みきれませんので、その水は海に流れます。

海の水はそのうち蒸発して気体になり、雲になります。
その雲は山に流れてまた雨を降らせます。
川になり、またあなたのもとに流れてきます。
あなたは必要な分だけコップに汲んで飲みます。
全部飲みきれませんので、また川下に流します・・・。

水はこのように循環しています。

ライオンはお腹いっぱいになると、目の前を小鹿が横切っても
決して襲いません。足ることを知っているからです。

しかし、人間は欲深く、その水をため込もうとします。
すると、川下の人たちは困窮し苦しみます。
欲をもってため込んだ水だから、それは腐ります。

実は、お金も一緒だと思います。
お金を私利私欲のためにため込み、川下で貧困で苦しんでいる人がいても
お構いなしです。
そのお金を川下に流して分かち合えば
またそのお金は山から流れてくるのですが、
輪廻(循環)の法則を知らないからそうなるのです。

正負の法則とも言います。
プラスがあればマイナスがある。
清があるから濁がある。

あなたが幸せになりたければ、ため込むだけではなく、
その幸せを分かち合うことが必要なんです。

もちろんお金だって、自分が豊かになれば
どこかに寄付をするなど、負の部分を自ら行うことが
結局、本当の幸せをつかむことになると私は思います。

ただ、お金をばらまけといっているのではありません。
私は、海外のボランティアに参加して教えてもらったことがあります。
それは、援助は40%までだということです。
100%の援助をすると、人は堕落します。
働かなくなるのです。

一番大切なのは自立支援です。
その人(団体)が自立できる手助けをすることが一番大切なのです。

幸せをつかむ方法をおしえてあげる、その手助けをする、
そういう生きたお金の使い方をした時、
そのお金はまた、循環して再び山からあなたのもとに流れてくる。
そういう不思議な宇宙の法則があることが分かりました。

あなたのもとにそのお金が返ってきても、
きっとまた、役立つ使い方をするはずだ、と
宇宙からあなたを見守っているだれかが、
そう信じてくれているのかもしれません。


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心の窓メルマガ版 45 「勇気を与えた少年」

勇気を与えた少年

心の窓43号「子供は天使」はとても反響がありました。

もう一ついいお話がありますので、お届したいと思います。

「もう死にたい・・・・。もうやだよ・・・・・。つらいよ・・・・・」
妻は産婦人科の待合室で人目もはばからず泣いていた。

前回の流産の時、私の妹が妻に言った言葉・・・。
「中絶経験があったりすると、流産しやすい体質になっちゃうんだって」。

あまりにも人を思いやらない言葉に私は激怒し、それ以来妹夫婦とは疎遠になっている。

妻は口には出していないが、もうすごく辛い思いをしていたと思う。

だから、今日までなんとか二人で頑張ってきたが、3度目の流産。

前回も前々回の時も、「また、頑張ろう」と励ましてきたが、励ます言葉が妻にプレッシャーをかけるような気がして、何も言えなかった。

いや、そうではない。今考えるとおそらく、3度目の流産を告げられて、子供がいない人生を私は模索し始めていたんだと思う。

私は冷酷な動物だ。情けない。

「ごめんね・・・・。でももう私頑張れないかも。もう駄目だと思う」。

待合室に妻の嗚咽だけが響く。

その時、妻の隣に4~5才くらいの男の子が座った。

「あのね、これあげるから、もう泣かないで」。

その子が差し出した手に上には二つの指輪。

おそらくお菓子のおまけだと思う。

男の子「水色のは泣かないお守り。こっちの赤いのはお願いできるお守り」。

私「いいの? だってこれ、ボクのお守りなんでしょ?」。

男の子「いいよ、あげるよ。ボクね、これ使ったら泣かなくなったよ。もう強い子だからいらないの」。

私「赤い指輪は? お願いが叶うお守りなんでしょ? これはいいよ」。

男の子「これね。二つないとパワーが出ないんだって。お父さんが言ってた」。

そういうと男の子は「だから泣かないで」といいながら妻の頭を撫でた。

すこし離れたところから「ゆうき~、帰るよ~」という彼のお父さんらしき人が彼を呼ぶと、

男の子は妻のひざに2つの指輪を置いて「じゃあね、バイバ~イ」と言って、去っていった。

いまどき珍しい、五分刈頭で、目がくりっとしたかわいい男の子だった。

私はその子の後姿をずっと目で追っていたが、ふと隣を見ると妻は二つの指輪をしっかりと握り締めていた。

迷信とか宗教とかおまじないとか、そういったものは全く信じない二人だけど、この指輪だけは、私たちの夢を叶えてくれる宝物に見えた。

その日から妻は、さすがに子供用の指輪なのでサイズが合わないため、紐をつけてキーホルダーにしていた。

それから2年半後、我が家に待望の赤ちゃんが誕生した。

名前はあの子にあやかって「有紀(ゆうき)」にした。

生まれる前から、男の子でも女の子でも「ゆうき」にしようと決めていた。

ゆうきくん、あの時は本当にありがとう。

あの時、君に会えていなかったら、君に慰めてもらえなかったら、今、この幸せを感じることはできなかったと思う。

私たち家族は、君に助けてもらいました。

君からもらった二つの指輪は、娘のへその緒と一緒に、大事に保管してあります。

我が家の宝物です。

うちの娘も、君のように人に幸せを分けてあげられるような子に育って欲しい。

本当に、本当にありがとう。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 44 「命」

よかった探し

「白血病は治る」というコラムを以前に書きましたが、そのボランティア活動「NPO法人さい帯血国際患者支援の会」(http://www.ptsupport.net/)の総会が神戸先端医療センターでありました。

私たちは、このボランティア活動をやっていても、実際に患者さんと直接接触することはありません。患者さんの後方支援のための活動だからです。でも今回、実際にさい帯血移植をされた患者さんのご家族が出席され、お話を聞くことができました。以下要約した内容ですのでお読みください。

私の主人は、去年の3月に67歳5か月でさい帯血移植を受けました。それまでに近くの市民病院に3か月半、先端医療センターに移って5か月入院し、無菌室にも長く入っていました。退院後は、免疫が落ちていることからちょっとしたヘルペスなどは出てはいますが、ほとんど合併症も出ずいい状態を保っております。病院の先生方も、今までの最高齢の成功例でとても喜んでられました。

今日この会議に参加してみて、最初、私は場違いではないかと思いましたが、このようなボランティアの方々が、草の根で活動されていることを知って、びっくりしています。

私の主人に移植したさい帯血は、東海大学のさい帯血バンクから届いたものでした。とても元気の良い男の子のへその尾から採取したもので、細胞数が非常に多く、主人が必要になったときにそれが見つかったのは、本当に奇跡のような感じに思います。

さい帯血の移植後、普通は3週間で成着するのですがなかなか成着しなくて、その間は完全無菌室でたいへん苦しい状況が続きました。主人の場合は5週間もかかり、このままではダメだ、他の手を考えないと、と先生も相当悩まれました。

そんな中で、ちょうど桜の咲くころでした。やっと成着の兆しが見えたのです。いつも無菌室のガラス越しに見舞にいっていたのですが、先生が私を見つけると手を振って、こちらに来なさい!と合図を送ったのです。

先生のパソコンの画面をさっと私の方に向けて、「これこれ!これを待ってたんですよ!」と先生は言うのです。そこには、白血球が少し増えた様子が出ていたのです。

私もうれしくてうれしくて、なぜかすぐに近くのデイリーヤマザキのコンビニに走って行って、今思うとなぜかわからないのですが、カレーパンとビールを買って、近くの公園にいって、桜の木に「カンパイ!」と叫びました。それから、まだまだいろいろとありましたが、現在68歳と9か月で元気にしております・・・。

ここまで話された時に、有田理事長は訊きました。「お住まいはどちらですか?」「神戸です」。そのときに理事長はこう話されました。東京や神戸のように最先端の医療施設がある近くにお住まいの方はラッキーですが、沖縄など医療格差で苦しんでいる地域はたくさんあります。

こんないい病院があることを知らない、また知っても来ることができない、そんな患者さんに同じように機会をあたえるための応援をしたい、というのがこの団体の発足のきっかけになったんです。地方にいてちゃんとした医療を受けられない人のために、また退院後の無菌室の提供など私たちのやるべきことはたくさんあります。一緒に頑張りましょう。

こう理事長は話されました。1000円サポーターとして協力くださっている方々、そして命を救うボランティア。一人一人のできることはわずかでも、多くの人の力が集まれば、命を救っていくことができるのですね。

これからもありがとうと言われる生き方を実践していきたいと思っています。

ぴあの屋ドットコム 石山


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