心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓メルマガ版 37 「白血病は治る!」

白血病は治る!

縁あって、私は白血病患者支援のボランティア活動をしています。

「NPO法人さい帯血国際患者支援の会」

これがそのホームページです。

不治の病といわれ、若い人に多く発症し、大切な人が突然いなくなってしまう悲しい病気、白血病。

その患者を救うために、骨髄バンクと、さい帯血バンクを立ち上げた女性がいます。
有田美智世さんという普通の主婦の立場でありながら、多くの権力者と戦い、このボランティア活動の中から多くの患者を救ってきた人です。

小泉元首相が厚生労働大臣だった時期にも、大臣室に乗り込んでいって交渉しています。でも小泉さんはよく理解してくれたそうですよ。

すべては、患者を救うため。
それでも、助けているはずの人から非難されることが多々あったそうです。

いつか分かってくれる。
でも私のことは忘れてくれてもいい。
生きてさえいてくれたら。
そんな思いで今も、精力的に活動されています。

今やきちんと対処すれば治る白血病。
でも、でも助かる人と助からない人がいます。
それは、ある事を知っているか知らないかの違いだけだそうです。

以前、有名な歌手が白血病で亡くなりましたね。
これには理由があったのです。
私はその話を聞いて驚きました。

そういうことがあるの?!

ここには書けませんが、その理由を知ったからには、患者の支援に手をかさないわけにはいかない、と私は決心したのです。

有田さんを応援している団体はたくさんありますが、特にこの臍帯血国際患者支援の会に大きな援助をしている団体が、エキスパートグループホールディングスという会社とその創業者が立ち上げた、中川希望塾というところです。

この中川希望塾は、明治の始めに吉田松陰が立ち上げた松下村塾の平成版といえばわかりやすいかと思います。

ここでは、今のおかしくなってしまった日本を、あの下級武士が立ち上がって成し遂げた明治維新のように、政治や宗教、特定の思想団体ではなく、一般庶民が日本を良い方向へ変えていこうというという志を持って学んでいます。

私もその卒塾生です。

私はここで、白血病とその治療に最大の効果を上げている臍帯血のことを知りました。

赤ちゃんのへその緒からとれるわずかな血液で骨髄の10倍の効果を発揮するという事実を知り、そして、いったん治ったはずの白血病患者がまた再入院して亡くなってしまうケースがある理由も知り、それを解決する方法があると聞いたのです。

これらのことを皆さんにもぜひ知ってほしいと思い、ここにご紹介させていただきました。

先ほどのHPにも紹介が出ていますが、その有田さんが書いた本が出版されました。
これを読めば、皆さんの知らなかった世界が、一部ではありますがわかると思います。

ぴあの屋ドットコムのサロンに150冊ありますので、ご希望の方には1冊500円でお分けします。
ご希望の方はお申し出ください。
売上は全額患者支援に寄付いたします。
郵送もしますので、私にメッセージをくださいね。

あなたの身近な人がいつ白血病になるかわかりません。
そんなとき、この情報を知っているのと知らないのでは大きな違いが出てくるように思うのです。

そしてすぐにSOS下さいね。
この本を書いた有田さんに必ず繋ぎ、なんとか救うことができたら、と思っています。

さらに、このHPで募集している支援サポーターにもなっていただければ嬉しく思います。

今の自分には関係ないと思うのではなく、たらいに浮かべた落ち葉のように、愛を先に向こうへ押してください。

そうすれば、必要な時期には、その落ち葉はちゃんとあなたの元へ戻ってきますよ。

私はいつもそう信じています。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 36 「心の手足」

命中村久子さんという方の自伝小説があります。

中村さんは、飛騨高山で生まれ育った手も足も無い身体障害者です。
明治32年ころの出来事です。

中村久子さんは、満2歳と10ヶ月の時、左足の甲が紫色に変わってきました。
どうせしもやけだろうと親はほっておいたところがだんだんひどくなり、そのうち「あんよがいたいよう」とあまりに泣くものですから、両親が医師にみせたところ、「突発性脱疽」という病気で、両足とも切断しないと命の保障はないといわれました。

両親はたいそう悩んで、切らずになんとか治してほしいと、懇願しながら決断できずにいたところ、こんどは両手にそれが転移してしまい、手の下しようがない状態になってしまいました。

ある日、けたたましく泣く娘に両親が駆け寄ってみると、白いものが転げています。
左手首がぽっきりと包帯ごともげて、落ちていたのです。
これをきっかけに、全部の手足を切り落とす手術が行われました。

お父さんはこの子をとにかくかわいがりました。
しかし、手足の傷跡が痛んで毎日夜泣きをします。

近所に迷惑がかからないよう、毎晩おぶって夜中外を歩きつづけました。たたみ職人であるお父さんは、このままじゃ仕事にならないだろうからと、親戚からこういわれます。

「見世物小屋なら引き取ってくれるだろう。売り渡したらどうだ。」

明治というこの時代は、このような時代だったのですね。

ある日、突然夜中にお父さんから揺り起こされ、「ひさ、父様(ととさま)が乞食になっても、死んでもけっして離さないよ」と、語った直後、その晩お父さんは39歳の若さで亡くなってしまいました。

近所の友達からはいじめられ、外に遊びにいくことも出来ず、もちろん学校にも通えず、いつもお人形相手に遊ぶしかありませんでした。

「あんたはお手々もあんよもあっていいね。そのお手々、私に貸して頂戴な」。

無心にそのお人形に頬ずりする姿をみて、お母さんはどんな気持ちだったでしょう。

さらに、こんどは目が見えなくなってしまいました。
手足も無い、目も見えない。この先どうやって生きていけばいいのか。
ある日、お母さんはこの子を抱いて、滝に向かいました。
「ゴォー」とうなる水の流れにおびえてなく我が子をみて、母は我が家に引き返しました。

その後、目は再び見えるようになりました。
お母さんは、このままではいけないと思ったのでしょう。
毎日毎日、あらゆることが自分でできるよう、厳しくしつけるようになりました。

手取り足取り教えるのではありません。
なにも手伝わないのです。
自分でできるまでやらせるのです。
食事もそのままお椀に口をもっていって食べようとしました。
周りの子供がはやしたてます。

「わーい、犬みたいだ」。

自分は犬じゃない、人間だ。

そのくやしさからついに自分で工夫をしながら、脇にはさんだお箸で食事までできるようになりました。
さらに針しごとからなんでも自分でできるようになりました。

トイレの掃除も、口に雑巾をくわえてします。
母の厳しさは、この子が一人で生きていけるように願う本当の愛情だったように思います。

しかし、大人になり、「だるま娘」という名で見世物小屋で働き始めました。この時代の障害者の生きていく道は、当時はこのような方法しかなかったのでしょう。

その後、結婚して子供を産み育てます。しかし連れ添った夫も早くに亡くなり、子供も亡くなりました。
これもか、これでもか、と不幸が襲います。
そんな時に、ヘレンケラーとの出会いがありました。

中村さんがヘレンケラーに会った日、足には粗末なアルミニウムの義足をつけていました。
その冷たい足に触れたヘレンケラーは、中村さんの足下にそのまま崩れ落ち、彼女を抱きしめると、

「私を世界の人たちは奇跡の人と言うけれど、あなたこそ、真の奇跡の人です」

と言いました。母親のしつけのあまりの厳しさに、恨みこそすれ感謝の気持ちなど抱いたこともなかった中村さんが、このとき初めて泣いたそうです。

ヘレンケラーからほめられて嬉しかったのではなく、気が付くのが遅すぎたことへの悔し涙でした。
感謝の気持ちを伝えられないままに、すでに母が先立っていたからであり、恩返しも出来ないことへの情けなさであったといいます。

中村久子さんは、年老いて里に帰ったとき村の住人に再会しました。
あのとき子供だった人もみんな老人です。
懐かしそうに話し掛けてきます。

でも、その顔を見ると50年以上も前に、その老人が自分を冷やかしいじめた時の姿が鮮明に浮かび上がってきます。
いじめた本人は、そんなことすっかり忘れているのでしょう。
でもいじめられた方は、50年以上経ったいまでも忘れることが出来ないのです。

中村久子さんは、この恨みの思いは神仏の心に反する、と強く自分を責めておられます。
でもそれが、人間の姿なのでしょうね。

中村久子さんは昭和43年に亡くなられましたが、この自伝小説は、私に人間の本当の生き方を教えてくれました。

贅沢な今の時代にこそ、このような時代を生き抜いてこられた中村久子さんのことを知って欲しいと思います。
きっとこれからの生きる糧となると思いますよ。
この本を読んでから、私はどんな困難がきてもこう思うようになりました。

「私には手も足もあるじゃないか。なんだってできるよ」

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 35 「目標」 

目標

あけましておめでとうございます。

新たな年が始まりました。
年度の初めにあたり、皆さんも今年の抱負や目標を胸にいだいてスタートされたことと思います。

えっ、目標をまだ決めてない?
実はそんな人も多いでしょうね。
それでは、なぜ目標設定が必要なのかをお話ししましょう。

イメージしてくださいね。
あなたは、豪華客船に乗っています。
ある日氷山にぶつかって、船は沈没。冷たい海に投げ出され、救命ボートに乗って助けを待っています。
そこには3日分の食糧しかありません。まわりは霧に覆われてなにも見えません。
まわりの乗客も途方にくれています。助けにきてくれるのだろうか。
陸地は近くにあるのだろうか。みんなだまって救助を待っている状態です。

2日経ちました。救命ボートはまだだれも見つけてくれません。
そんな時に、一瞬風が吹いて霧が晴れ、遠くに灯台の光が見えました。

「あそこに陸地があるぞ!みんなでオールを漕いで行こう!」
この瞬間、乗客全員の心に希望の光がさしたのです。
そして食糧はあと1日分。期限は1日。
目標はあの灯台。心を一つにした乗客たちは、全員で協力して陸地に向かったのです・・・。

私が勝手に作った物語ですが、みなさんが何かをやろうと決心しても、目標を決めていない状態が、救命ボートに乗ってプカプカと浮いているのと同じ状況なのです。これでは前に進むはずはありません。

そして目標を設定するのと同時に必ず期限を決めることが必要です。
この物語では、あと1日で灯台に到達しないと、食糧がなくなってしまいます。

年初にあたり「今年はこれをやろう」と決心された時、目標を決め、期限を決める。これができて初めて、その方向へ進み始めるということをご理解くださいね。

そして、できるだけ詳細にイメージを持つことも大切です。
目の前にその映像が浮かぶくらいイメージを持つのです。
達成した時の笑顔の自分の姿が鮮明にイメージできれば、もう達成したのと同じです。

そしてもう一つ、前に進む時に「感謝」の心があると、その目標は数倍も早く成し遂げられるのです。
つまり、人を蹴落としてまで自分の目標を達成しようとする心や、人と比較した(他人を基準とした)目標設定は、うまくいかないのです。不思議なものです。

私は、今年はピアノ事業と、新しく始める通信事業で、大きな目標を立てました。必ず成し遂げます。
自分との約束は守りたいと思っています。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 34 「形見」

形見

皆様ご存じのように、私はピアノの調律師です。

ピアノ製造メーカーの社員から独立して13年目になりますが、現在では社員やパートの調律師6人と共に、ピアノの調律や修理・買取・販売などをしております。

最近では、インターネットを使って全国規模でピアノの買い取りや販売をしていますが、「ジャパネットイシヤマ」と冗談でいわれるほど、インターネット動画を使ったビジネス展開が大当たりしています。どんな仕事でも、結局はその人物を分かってもらわないとなかなかうまくいかないものですからね。

そんな展開を始めて全国の方々にご縁がつながり始めていますが、最近愛知県からグランドピアノを買取したお客さんからこんなメールをいただきました。ご了解をいただきましたので、ご紹介させていただきたいと思います。

「この度は、ピアノを買い取っていただきありがとうございました。他の業者様で、高く査定された値段からだんだんと下げられたこともあり、ピアノを売ることに不安もありましたが、石山さんのメールで、蟹江にお住まいだったという部分を拝見して、何だか安心してお願いしてみました。料金も、こんなにも早く振り込んでいただけて、本当に安心いたしました。

このグランドピアノは、半年前に亡くなった母が私の為にと買ってくれたものなのですが、事情があり、残念ながら手放さざるを得なくなってしまいました。大切に扱ってくださる所にお願いしてよかったです。

ピアノを買い取っていただいたお金は、来年早々に結婚する時の為の結婚指輪にするつもりです。いつも身に付けてられるので、母の思い出のピアノ=指輪となり、いつも母がそばについていてくれるような気持ちになれそうです。ありがとうございました。だんだんと寒くなる時節柄、お身体には十分ご自愛なさってください。」

このメールを読んで、私は胸がジーンと熱くなりました。
亡くなったお母さんの形見、でもそれをそばに置いておくことができない。そんな時、このような形で、物は変わってもその思いを別のものに変えて身につけておくという気持ち。特に、ピアノが結婚指輪に変わるなんて素晴らしいなと思いました。

買い取ったピアノはきちんと整備をして、きっとまた大切に使ってくださる方へリレーをしていきたいと思います。

どんなビジネスでも、やはり人の心を一番大切にしながらやっていかないといけませんね。以前、心の窓7号で書いた「ディズニーランドのお子様ランチ」や24号「人であふれた駐車場」など、相手の立場で物事を考え、行動できる人になれるよう、さらに魂を磨いていきたいと思います。

ぴあの屋ドットコム 石山

●心の窓の過去ログをご覧になりたい方はこちらをクリックしてください。
http://www.just.st/index.php?tn=index&in=7104977&pan=180

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心の窓メルマガ版 33 「お好み焼きの具」

お好み焼きの具

ある小学校の参観日。先生が言いました。

「今日はお好み焼きの絵を描きます。その中で使う具にどんなものがあるか、みんなであげてみましょう。どんなものが、お好み焼きの中にあるかな?」

みんな、「ハーイ! ハーイ!」と手を挙げて言いました。

ある子どもが、家でお好み焼きを作った時には使ったことはないけど、あるお店に行ったら”チーズとお餅”も具にあったので、「先生! チーズとお餅!」と言いました。

すると先生は、「うーん・・・、チーズとお餅かぁ。それは変だなぁ・・・。ほかにっ!」と、他の子に、また手を挙げさせました。

その時、いままでハイ!ハイ!と楽しそうに手を挙げていた教室の空気が一変しました。そして、すごく楽しそうに手を挙げていた空気から、今度は「いかに先生に気に入られるか」、というような答えになってしまいました。

そして、そのあと書いた絵が、全部同じようなものになってしまいました。だれ一人、個性的な絵を描いた子はいませんでした。

参観が終わったあと、個人懇談会がありました。
その子どもの母親がこう先生に言いました。

「先生、実はあの時、教室の空気が変わりましたね。そして児童はみんな、先生に気に入られる絵になってしまいましたね。実際に手を挙げて、”チーズとお餅!”といった子は、ウソをついたのではなく、本当にお店に行って、チーズとお餅を入れて食べたんです。だから、手を挙げて”チーズとお餅と言いました。

それを、「それは変だなぁ・・・」といって、「他に」と言った瞬間、もうその子は手を挙げなくなってしまいました。先生に気に入った答えしか採用してもらえないと思ったんです。それって、子どもの芽を摘み取っていませんか?

“そういうこともあるよね、それは面白いよね“と言って欲しかったと思いますよ。」

それを聞いた先生は、しばらくの沈黙のあと、ポロポロと涙を流してこういいました。

「そういう教師にだけはなりたくない。子どもの創造性や方向性を摘み取らないで、伸び伸びと子どもを育てて上げたいために、威張っている先生ではなくて、子どもの能力を伸ばしたいという、そういう夢と希望を持って、教師になったはずなのに、それがいつの間にか、私の中で失われていました・・・。今日は、このことに気付かせてくださってありがとうございました・・・」と深々と頭をさげられました。

この話は、私の知り合いの女性が実際に体験した実話です。ご本人の了解をいただきましたので、ここに紹介させていただきました。

「氷が溶けたら何になる?」
「春になる」

こういう自由な発想を「それは違うなぁ」ではなく、「それは面白い!」と認めることで子どもの能力はどんどん伸びていくのかもしれませんね。

そして視点を変えると、面白いものが見えてきますね。
みなさん、あのスーパーマンはなぜあんなにピチピチの服を着ているか知っていましたか?

よーく見て下さい。なんとスーパーマンの服はSサイズだったのです。胸にでかでかと「S」と書いてあるでしょ?

ぴあの屋ドットコム 石山


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