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心の窓メルマガ版 13 「ありがとうと言われる生き方」

「ありがとうと言われる生き方」

私の尊敬する社長さんのお話です。このメルマガでは基本的に個人名はださないことにしていますのでN社長とでもしておきましょう。

この会社は1999年の創業以来、創業3年目から会社の売上の中から社会貢献として寄付しています。また社員やそこにかかわる代理店もその理念に賛同して、世の中の弱者と言われる人々や団体に全員参加型の社会貢献をやっています。

創業7年目には、4億円にも達する寄付を行っています。会社というのはアメリカ的にいいますと株主のためなのでしょうが、私は社会に貢献するための存在でないといけないと考えています。当然従業員やそこに関わる代理店などを幸せにし、さらに商品を購入されたお客様の喜びなくしては会社の存続はありえないと思います。しかし、それを実際に実践し、利益を出して税金を払い、さらに見返りを求めない多額の寄付までしている会社というのは、なかなかありません。

N社長が、寄付先の児童養護施設で講演をすることになりました。その養護施設は、0歳から18歳まで200名ほどの子供たちを育てている施設です。N社長がその施設で講演をする際、園長先生がこう言ったそうです。

「子供たちは、一番愛情をそそいで欲しい親と別れて暮らしています。心に傷を負っています。今までいろいろな方が講演にこられましたが、ガヤガヤとまともに聞いていません。どうぞこらえてくださいね」

N社長は、いいですよと答え、そして講演が始まりました。そして社長がある言葉を発したとたん、子供たちは一瞬シーンと静かになりました。社長はこういったのです。

「君たちは幸せじゃないか。自分は一番愛して欲しい親がいなくなった。世界一不幸だ、と思っているだろう。さきほど、園内を見て回ったけど、食堂ではおいしそうなハンバーグを焼いていたよ。君たちの今日の夕食はハンバーグなんだね。でも、世界中には1杯の牛乳を飲めずに死んでいく子供たちもたくさんいるんだよ。
今日は台風で大雨が降っているね。世界中には、家も屋根もなく橋の下で住んでいる子供たちもいるんだよ。
君たちは親に代わって育ててくれているボランティアの職員さんがいるんだね。世界には、一人で生きているこどもたちもたくさんいるんだよ。

君たちは、どうして「ありがとう」と言わないんだい?
“ご飯が食べられてありがとう”
“屋根があってありがとう”
“職員さんありがとう”

君たちが毎日毎日「ありがとう」と言って大きくなれば、大人になったとき、回りから「ありがとう」といわれる人間になるんだよ。ありがとうといわれる立派な人間になって、みんなで協力しあって、この施設を助けるんだよ。

建物がボロボロですきま風で冬は寒いだろう。不景気で寄付が減って建て替えもできない、と言う前に、ここの卒業生はたくさんいるんだろう?
企業の寄付を当てにしないで、自分たちで何ができるのか、を考えなさい。もちろんおじさんもこれからも協力していくけど、自分たちには何ができるのか、よく考えるんだよ。」

こういって、講演が終りました。子供はその大人が本物かどうかを見抜く力を持っています。高学年の女の子たちは泣き出して、社長が帰るとき、「おじさんまたきてね!」と雨の中を手を振って見送ったそうです。

そして、なんと子供たちは立ち上がりました。自分たちでチャリティーコンサートを開いて、それを施設の建て替え費用の一部に当てたのです。私は、ケーナという笛をもって賛助出演もしましたが、そのコンサートでは、子供たちの賛美歌や演劇がありました。

学校の学芸会などでは、ふつう子供の演技には照れなどがあったりしますが、ここでの子供たちの表情は真剣そのもの。“今を生きる”をいうことを実践しているんです。つまり、今自分に与えられた役割を一生懸命にこなす、ということをしてるんです。スポットライトがあたった子供たちの目はキラキラと輝いています。そんな姿をみて、私は涙が止まりませんでした。

そしてついに、この施設の建物の建て替え工事が始まりました。わずかな金額であっても施設の役に立ったんだという自信と誇りを子供たちは感じたことでしょう。大人のたった一言が、子供の心を変えるのです。私はこの社長は立派な経営者でありながら、素晴らしい教育者ではないかと思っています。

次回は、その子供たちが書いた作文をご紹介しましょう。いろいろな葛藤のなかで子供たちは何かを学んでいるのです。

ぴあの屋ドットコム 石山

ご感想をいただきました

Bさん:
月並みな表現だけど、立派な社長さんと思います。
会社を黒字で経営する中で、寄付をしていく陰徳積みを実践し、さらには施設の子供たちに対して「感謝すること」を理解させ彼らが自ら行動する布石を打った。
どこぞの「俺は社長だあ~」なんていう人とは次元が違うように思います。
私も立場は違えど、以前から気になっているこれに似たあることを思い出しました。
人間て、自分のことって意外にわからないくせに、他人の事って本当に良く見えるし、つい、批判もしてしまいがちですよね。
今、社長でもなんでもないし、他人さまに何か教え諭すような人間でもないけど、今の自分に与えられている役割の中で精一杯向上させていけることができるようになりたいと改めて思いました。
それにしても、ぴあの屋まーちゃんさん、本当にしっくりくるいい話をいつもいつも、ありがとうございます。

Sさん:
社長というより神様に近い存在ですね。
どんな状況であれ、「幸せ」と思えることは
すばらしいことだと思います。
それに応えた子供たちも素晴らしい
納税日本一のある方もこんなお話をされました。
「ありがとうは、ある日突然通じなくなるんだよ。
たとえば、寝ている赤ちゃんが、ハイハイを始めたら
親は嬉しくてよろこぶよね。
でも、30歳超えてまだハイハイをしていたら・・・?
ありがとう、ありがとう、っていうのは
当たり前のことなの。そのあたりまえのことを
いつまでもやっていたら、だめなの。
その次は、ありがとう、といわれる人にならないとだめなの」
ありがとうといわれる生き方をするために
人は生まれてきたんですからね

Oさん:
子ども達が自分達で動いて現状を変えていったのですね?
感動しました。
またこの社長さんのように、今ある現実に感謝できる人になりたいなぁと思いました。日常にどっぷり浸かっていると、意外に恵まれていることに気づかないことがありますね。
社長さんのようになれるように、心がけたいです。

Aさん:
泣き虫なので、読みながら涙です。30才の息子に転送しました。知り合いにも転送させて頂きます。有難うございました。


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心の窓メルマガ版 12 「あなたの心の中の最良のものを」

あなたの心の中の最良のものを

「あなたの心の中の最良のものを」

ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの言葉です。じっくりとお読みください。

人は不合理、非理論、利己的です。
気にすることなく人を愛しなさい。

あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく善を行いなさい。

目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなくやりとげなさい。

善い行いをしてもおそらく次の日には忘れ去られるでしょう。
気にすることなくし続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。

あなたの作り上げたものが壊されるでしょう。
気にすることなく作り続けなさい。

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。蹴り落とされるかもしれません。
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい。
(マザー・テレサ)

マザー・テレサにこんなことを言った人がいます。
「あなたは ”死を待つ家” に街角で瀕死の状態で倒れている人々を連れてきては世話をされていますが、明日死ぬと分かっている重症の人に高価な薬を与えることは、無駄ではないですか。それよりも貴重な薬をまだ生きる可能性のある人々に分け与えたほうがいいのではないですか。」

これに対して、マザーは「人は皆、幸せになるために生まれてきているのです。でも環境などによって貧乏な生活をし、病気になって苦しんでいる人が大勢います。そんな人が周りを恨み、憎しみの心を持ち、最後には神をも信じず、生まれてこなければよかった、と思いながら死んでいくのです。でも、最後の最後にこの死を待つ家で手厚い看護を受け、生まれて初めて飲むような高価な薬を与えられたとき、その人は最後に、“ありがとう”といって死んでいくのです。生まれてきてよかったと思って天に帰っていくのです。これほど尊いものはありません」。
これは以前、マザーの通訳だった渡辺和子さんの講演で聞いた話で、講演の詳細については記憶が不確かではありますが、このような内容の言葉をマザーは言われました。

人によって意見はさまざまですが、私はマザーの考え方は素晴らしいと思います。マザー・テレサのようになれるわけはない、と思う人もいるかもしれません。でも私は、はじめからあきらめるのではなく、それに近づこうとする生き方こそ、自分の魂を磨いて行くことだと信じています。

こんなことを書く私の魂が磨かれているとは思いませんが、せっかく生まれてきた命です。良い生き方をして「生まれてきてよかった。いい人生だった。ありがとう」と人生の最後にインタビューされたときには、こう自信をもって答えられる生き方をしていきたいと思っています。

※このメルマガ「心の窓」は、特定の思想や宗教を奨励するものではありません。

ぴあの屋ドットコム 石山

ご感想をいただきました。

Sさん:
『気にすることなく・・・』
見返りを求めず、ということですね。
最良のものを与えることを当たり前と思えれば、
マザーテレサのようになれるんでしょうね。。。
何かの掲示板で、寝たきりの義父の話を書き込んだことがあります。
『義父は完全の寝たきりで、胃から栄養を直接取っています。
何のために生きてるのだろう・・・
この流動食を本当に必要としている人に
あげたほうがいいのではないか・・・』と。
そのとき、石山さんは私にこのマザーの話をしてくださいました。
いまでも鮮明に覚えています。
それから介護に対する考え方も、義父へのお世話の仕方も変わりました。
いいお話を聞かせていただいたこと、感謝します。

Bさん:
「マザー・テレサのようになれるわけはない、と思う人もいるかもしれません。でも私は、はじめからあきらめるのではなく、それに近づこうとする生き方こそ、自分の魂を磨いて行くことだと信じています。」
と言う言葉に、100%同意します。
完全でなくても良い、それに向けて努力していくこと、その過程こそが
尊いものだ、と心から思います。
でもそうは言いながら、表面的な都合のいい結果ばかりに気をとられている
自分がいる。「あ~」なんて自己嫌悪になったりして・・・
一歩づつでもいいので、前に進みたいです。
素敵な気付きをありがとうございます。

Aさん:
おはようございます。介護の仕事に携わりそろそろこの仕事卒業したいなあーと考えてましたら石山さんからの素敵な言葉。マザーテレサさんのようには生きれませんが言葉には近付けます。荒波を歩きつづけます海亀のように。ありがとうございます。

Hさん:
ありがとうございます!
通勤電車の中、涙を止められないお話でした。私が何をしてきて、何をするべきで、見つめるべき使命に気付き、改めて感動しました。
マザーテレサになる勇気は足りないけど、ひたむきに人生を踏みしめなきゃいけないと思いました…
すべてのもの(生物のみでなく)は繋がっているし、今の良いも悪いも状況は理由があってそうなっている原因結果の法則を強く感じます。日々、切磋琢磨して人生というステージを楽しみ、慈悲と利他の精神で生きたいと心から願っています。

Nさん:
素晴らしい マザーのお話でした
私は 介護の仕事して 10年。 やり初めて直ぐ ご利用者さんに 想いがどんどん入っていって その方が亡くなられたら 悲しくて 仕事にならなかったんです その頃 真剣に マザーの本を 読んでいた事を思い出します
また 今回の内容は 私が 今悩んでいる事を 解決して 勇気を持って これからの人生歩いて行けるものでした
今現在 入院中で 生まれて初めての入院なので 今までの人生の事 これからの人生の事 ゆっくり考えようと思っていた矢先のメールで また石山さんに 助けてもらいました
なんと言うタイミングなんでしょう

Kさん:
マザーテレサのお言葉に感動して止みません。
私は数年間、人の為にわずかではありましたけど貢献させていただいた経験がありました。ところがある日ある人からショックな事を言われ、それに対して納得がいかずかなり落ち込みその日以来やってないんです。
人は自分の思いで好き勝手に言うんだな~と つくづく思いました。 でも本心では(善)続けなくては…と分かっているんです。しかし今 その気力がないんです。こういう状況(心境)のなかで マザーテレサのお言葉は大変励まされました。ありがとうございました。

Hさん:
深いため息と涙があふれてきました。
いつも素晴らしいお話のメール、ありがとうございますm(__)m。

Aさん:
私の好きなひめくりカレンダーの12日に この「あなたの心の中の最良のものを」マザー・テレサの言葉が出てきます。
私は毎回あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。ここまで読むと涙で文字が読めません。
ひと滴、涙が頬を伝い視界が開ける頃には、私は何だか自分の事がとても愛おしくて、愛おしくて しっかりと抱きしめています。何かを求めて生きながら、何も求める事なく与え続けて生きるなんて愛でしかないですね。


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心の窓メルマガ版 11 「賞味期限」

賞味期限

「賞味期限」

最近、食品の偽装など新聞をにぎわしていますね。食品に混ぜ物をしたり、賞味期限を偽ったり・・・。

賞味期限が切れた食品を「もったいない」と思う気持ちは分かりますが、パックをしなおして再度販売したりする行為は、消費者を騙す行為以外のなにものでもありません。

20世紀は人を騙してでも儲けたらいいなどという企業が伸びてきたかもしれませんが、21世紀に入って、心ある従業員が内部告発という形で真実が世に出るようになりました。これは宇宙的な流れで見ますと、良い方向に向かっているといえるでしょう。

しかし、これらの事件はすべて企業が悪いのでしょうか?
私はこんな事件があるたびに、賞味期限切れの商品を操作する企業を責め、大騒ぎしている消費者に疑問を持つことがあります。
物事は、報道をそのまま鵜呑みにするのではなく、善意な心をもった第3者の目で見て判断する習慣をつけることが大切です。

では、なぜ賞味期限切れの商品が大量に出てしまうのでしょうか。
たとえばスーパーに並べられている牛乳を買うときのことを想像してください。賢い主婦は必ず賞味期限を見て、奥の方にあるできるだけ新しい牛乳を買うものだ、と聞いたことがありますが、それは本当に賢い主婦なのかな、と思います。明日にも賞味期限が切れるというなら別ですが、ほとんど期限が切れるまでに消費してしまうような日付だと思います。

すべての消費者が一番手前に並べてある商品から買うようになれば、スーパーの商品が賞味期限切れになって破棄される確率はぐっと減るかもしれません。スーパーとしては食品が無駄にならないように、先に出荷した商品を先に買ってもらいたくて、手前に置いているのです。
しかし、多くの消費者はわざわざ手前の商品を動かして奥のものを取ろうとします。そうして、賞味期限の切れた商品があふれてきて、スーパーの経営者の心に魔がさしてしまうこともあるのかもしれません。

自分だけ新しいものを取るということは、「自分さえよければいい」ということです。他人に古いものがあたっても自分には関係ない、という気持ちが無意識に心の奥底にあるということに気付いていない人は多いかもしれません。すべての人が「他人じゃないよ」という気持ちがあればそんなことはできないはずです。

地球環境をまもれ、と世界中で活動している人や、貧困な子供たちに食料をもっていくようなボランティアに精を出している人はたしかに尊いですが、大きなことはできなくても商品を賞味期限に近いものから選ぶという、こんなだれでもできることから実践している人も私は尊いと思います。

世界中の食料を均等に分ければ3秒に一人の子供が餓死しているという世界の現状が解消されるそうです。本当に賢い主婦は、このように誰にほめられるわけでもなく自分のできることから実践している人だと私は思います。ささいなことですが、そういう魂を磨かれた人たちが増えていくと、必ず日本は変わっていくと私は信じています。

森林保護のために割り箸を使わずマイ箸やユア箸を持ち歩く。昔のように買い物袋を持参する。賞味期限内に使い切るものなら古いものから買い物する。

さあ自分のできることからはじめてみませんか。

ぴあの屋ドットコム 石山

ご感想をいただきました。

Sさん:
すばらしい内容で大賛成です
私もエコバッグ持って毎日買い物に行ってます。
小さなバッグなので、買いだめすることありません。
だから、賞味期限の長いものを選ぶ必要もありません。
毎日歩いて行くので、健康にもいいです。
エコバッグ一つ持つだけで、自分へのメリットも
たくさんあります。
これを読んで、「ホンマやなあ」と思われる方のうち
どのくらいの人が実行できるのでしょうね。
この世は思いだけではいけません。
思いだけでいいのは「あの世」です。
この世は「思い」と「行動」ですよね
行動できる仲間を増やして行きます

Kさん:
地球のことを思えば、みんなで行動すべきですね。
とりあえずマイ箸はいつも持っています。それから賞味期限も気にしています。
できることからコツコツとですね。(^^)v

Oさん:
今は賞味期限に敏感になり過ぎてますね。
私のような、少々古い人間は
五感で確かめます。
例え、賞味期限が切れていても、
昨日までの賞味期限が、今日悪くなることはないですよ。
舌と、目と、匂いで解かるはずですよね。
賞味期限を気にしないと言う訳ではないけれど
あまりもの、最近の過剰ぶりはいかがなものかと、
疑問に思っている世代です。
商品は手前から、買いましょう。

Kさん:
これも、二つの考え方の学びですね
もっと広く捕らえたら、日本人は無駄が多すぎますね!
最近、いろんな局で、貧困のなか生活を支えて働く子供達や栄養失調と疲労で倒れるまで働く子供を取り上げられた番組をテレビで見ました。
そんな番組を見るたび、大人は、社会は何をしているのかと怒りのようなものと不がい無さを感じます。
社会貢献する個人レベルの活動がいかに確実なものかと思います。もっと広くお役に立てればとは思いますが・・・
ちなみに、私は賞味期限ぎりぎりのものをお安くなってから買います・・・自分のお財布のためですが、その日のうちに使い切るものや、今日・明日のうちに調理してしまえば問題なしで~す

Keさん:
おはようございます。今日のメールを見て 私もその賢い?主婦の一人だ! とハットしてしまいました。マイ箸買い物袋は実践してても 賞味期限は常に新しいのを買ってました。破棄されるの勿体ないと 思いながら… 私みたいな主婦が 動いたら すごい人数になるでしょうから ホントに出来る事から始めたいと 新めて思いました。いつもドキッとするメール 有難うございます。

Tさん:
おはようございます。今朝のメールのお話、全く同感です。私も以前から、みんなが当たり前のように奥の方の牛乳から買っていくのをみて、手前の古くなっていく牛乳がずっと気になっていました。ある方の本を読むと「お金はお金が喜ぶような使い方をしましょう」と書いていました。私はこの時以来、手前の牛乳から買うようにしました。手前から買うとお店が喜ぶ、お店が喜ぶとお金が喜ぶと思ったわけです。石川先生のお話に励まされ、ますます、その実践をより多くの人が心掛けてくれるよう広めていきたいと思います。ありがとうございました。

いつもメールありがとうございます!
消費期限のメール拝見しました!まさに私がしていたことですね、
自分なりには環境問題を叫んだりマイ箸を持ち歩いてはいるものの、スーパーの方の気持ちを全く分からないでいた自分を反省します、
私の嫁さんもメールを見て衝撃を受けてました(=_=;)
そういう目でスーパーに行くと、これでもかというくらいに手前の商品を払いのけて奥の商品を引っ張り出している光景に心が痛みます、
まるで自分勝手な昨日までの自分の後ろ姿なんですね、
早くクサイクサイ(>_<)ウンコから花に変わらなきゃ! これからもドンドン色んな魂の磨き方を教えて下さい!メール楽しみにしています! 感謝(^-^)人(^-^)感謝


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心の窓メルマガ版 10 「出来事は一つ とらえ方は二つ」

出来事は一つ とらえ方は二つ

前回の三年峠のお話は大きな反響がありました。

ここで皆さんにご理解いただきたいことは、3年峠で転んだという出来事は誰が見ても一つですよね。でも、とらえ方は二つあったということです。

まず、最初のおばあさんは「三年峠で転んでしまったばっかりに、3年しか生きられない」と、おじさんに不平不満をぶつけていました。そしておじいさんはそのストレスで3年でさえ生きられませんでしたね。
でも、2人目のおばあさんは「3年も生きられる」ことに感謝して、そしてあの大ドンデン返しのアイディアを思いついたのです。

日本一の納税者として有名なある社長さんがこんなことを言っていました。
「玄関を出るときにゲタの鼻緒がきれたら、ほとんどの人は“縁起が悪い”っていうよね。でも僕は違うんだよなぁ。もし、今切れなかったら、横断歩道を渡っているときに切れて転ぶかもしれない。そのときに運悪くダンプカーが来たら僕は死んじゃうんだよ。でも今切れたおかげで新しいゲタを履いて出ることができるから横断歩道で死ぬ確率がぐっと下がるんだ。だから、僕はツイてるんだよ。何が起こってもツイてるから大丈夫・・・」

これもそうですね。ゲタの鼻緒が切れたことは誰が見ても一つです。でも「縁起が悪い」という捉え方と「ツイてる」という捉えかたの二つが必ずあるんですね。プラス思考ということはカンタンですが、いざその現場になった時に、あなたはどっちの捉え方をするのかな? と善意な心を持った第三者の目で自分を見つめる習慣をつけられたら、きっと幸せになる方向を見つけることができるかもしれませんよ。

私が以前、地下鉄に乗ろうと改札にきたところ、大勢の人でごったがえしていました。電車が止まっているようです。どうやらすぐ下のホームのところで人身事後があったようです。
そのとき私はこんなシーンを見ました。
駅員にくってかかって怒鳴りまくっている人の集団。「いつになったら動くんだ!」「会社に遅れるじゃないか!」「きちんと説明しろ!」。

その光景に目を背けてその少し離れたところを見ると、若い女性が静かに目を閉じ合掌していました。
そう、すぐ下のホームで電車へ飛び込み自殺があったのです。その亡くなった方には何か大きな悩みがあったのでしょう。たしかに大勢の人に迷惑をかけたかもしれません。でもそんな人に対して、わずかな時間でも心を向けて冥福を祈る姿は美しいですね。

あなたはどっちの人ですか? 自分の都合だけ考えて怒鳴りまくる人? かたやそこで命を絶ってしまった方へ心を向けることのできる人?

出来事は一つです。でもそれをどう捉えて行動するかはあなたの自由なのです。

ぴあの屋ドットコム 石山

ご感想をいただきました。

Mさん:
「出来事は、一つ 捉らえ方は、二つ」 本当にそうですよね。
物には、二つの面が常にありますよね。プラスとマイナス 光と影やはり・・どんな時も 前向きに行きていく事こそ 大切なんだなと改めて感じました。
人間は、意識しなければ物事を悪い方へ考えてしまう生き物です。特に人生に困難な事がおこった時人生が終わったような気持ちにもなるでしょう。
もし人間に未来を透視する力があれば困難を乗り越え勝利している自分が見えたなら絶望せずにすむかもしれませんが 未来が見えないからこそ勝利を信じて前向きに生きていかなけばならないと思います。
「心の窓」のメッセージはいつも勇気と前向きに生きる・人として大切な事を教えてくれ感謝します。次回も楽しみにしています。

Sさん:
素敵なお話をありがとうございます
同じ生きるなら、自分も周りもいい気分に
なるように心がけたいですよね~
赤信号で何度もひっかかってしまうと、
ついつい『あ~また赤だ・・・イヤになっちゃう・・・ついてないなあ~』
と思いがちです。
でも、信号機を睨みつけてイライラしても
信号は変わりませんもんね
ちょっと外に目を向けたら キレイな花が目に入るかもしれないし、好みの人が横断歩道を渡っているかもしれない
同じ時間、同じ場所、どうせ過ごすなら
気分のいい過ごし方がいいに決まってますよね


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心の窓メルマガ版 9 「三年峠」

「三年峠」

「三年峠」

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

その日、おじいさんは三年峠という峠を越えて仕事に行かないといけませんでした。おばあさんはおじいさんに声をかけました。

「なあおじいさんや、今日は三年峠を越えていくんじゃからくれぐれも気をつけるんじゃぞ。三年峠で転ぶと3年後に死んでしまうという言い伝えがあるんじゃからなぁ」

おじいさんはわかったわかった、といって仕事に出発しました。そして三年峠に差しかかったとき、「これがあの3年峠か、よし慎重に慎重に・・・」といつもよりも緊張して歩き始めました。

ところが、おじいさんはそこに転がっていた小枝に気付かず、それに足を引っ掛けて転んでしまいました。これは大変じゃ、とあわてて家に帰っておばあさんに報告しました。
「大変じゃ! 3年峠で転んでしまったわい!」

ここから物語を二つに分けることにしましょう。

一人目のおばあさんの反応はこうです。
「おじいさんや、なんてことしてくれたんじゃ! わしは3年後に未亡人になってしまうじゃないか!」
そう、おばあさんは自分のことしか考えていませんでした。そして、毎日おじいさんに文句を言い続けます。
「あのとき、三年峠でころんだばっかりに、あと2年半の命じゃのう」
「あんとき、三年峠でころんだばっかりに、あと2年の命じゃのう」

こうやって、毎日文句を言い続けられたおじいさんは、ストレスでだんだんと体調を崩し始め、そしてなんと3年経たずして病気で亡くなってしまいました。

それではもう一人のおばあさんの反応です。
おじいさんが三年峠でころんで真っ青な顔を帰ってきた時におばあさんは、一瞬しまった!と思いましたが、顔を上げてニコっと笑いこういいました。
「おじいさん、良かったですね!」
おじいさんはキョトンとしています。だって、三年後に死んでしまうという宣告を受けたようなものですからね。

そこでおばあさんはこういいました。
「なあおじいさんや、よく考えてごらん。明日ガケから落ちて死ぬかもしれない。あさって熊に襲われて死ぬかもしれない。でも神様が3年“も”生きられるって保障してくれたみたいなものじゃ。これに感謝しないとなぁ」

そしておばあさんはもう一言こういいました。
「なぁおじいさんや、もう一度三年峠でころんでらっしゃい! そしたら6年生きられるわい!」

おじいさんはもう一度三年峠に行き、コロンコロンと何度も転び、天寿を全うしましたとさ。

いかがでしたか? この昔話には深い意味がたくさんありますね。その解説は次回お楽しみに!

このメルマガ発信の後、実は3つ目のストーリーを考えました。それはこうです。

おじいさんは、おばあさんから何度も転べば3の倍数分生きられるぞ、と聞いて、何度も何度も三年峠で転び続けました。
しかし、欲を出しすぎたおじいさんは、たまたま転がっていた石に頭をぶつけて、その場で死んでしまいましたとさ・・・・。

ぴあの屋ドットコム 石山

ご感想をいただきました。

Pさん:
3つ目の話面白いたとえ話ですね。
やはり、自分のためだけの行いではね・・・・
人のためになる行いしていきたいです。

Kさん:
こんにちは いつも 心を打つお言葉有難うございます。
私ごとで恐縮ですが、先日お茶摘みをする機会がありまして、82才になられるおばあちゃんとお話しをしながら仕事をしていましたら 私にいくつになられますか?と尋ねましたので はい昨年還暦になりました と答えましたら あーらー 百才まで四十年も有るんだ と言われまして 私はハッとしました。
還暦を迎えたことに もう六十になってしまった と思ってましたから すぐ続けて話したのはよく お友達なんかの会話の中でお金が無くなったなどと話す時が有るけどお宅に泥棒でも入ったの?て尋ねると ウウン私使ってしまったの じゃーそれは 無くなったんではないのよ 使ってしまったのと言うの また 一万円しか無いなどと話す時も なんと凄い一万円も有るんだと答えるそうです そのおばあちゃんの お話しによると 幼い頃から貧乏だったので このように思って暮らさないと 辛すぎたので 私が考えた 生きかたなの私は涙が溢れてとまりませんでした。
そして 貧乏は恥じる事ではないのと ニコッとして話しをしてくれました。
今日は私にとって 人生最高の 喜びでした。まだまだ40年もある いっぱい みんなに優しくできると 改めて思い お茶摘みに感謝です 一期一会に。


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