心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓メルマガ版 32 「日本語」

日本語

「虫のしつけが行き届かず、ご迷惑をおかけする事があるかもしれませんが、どうかお許しくださいませ。虫たちが出ましたら、すぐにフロントにご連絡くださいませ」

これは山の中のある温泉宿の客室に、さりげなく置いてある札にかいてあるものです。そこに宿泊した人たちは、きっと一瞬心がなごむのではないでしょうか。

その宿に宿泊された方から聞いてさらに笑ったのは、露天風呂の壁の札にこう書いてあったそうです。

「虫たちがお風呂に入りにまいります。湯あたりしていましたら、恐れ入りますが救援用のアミで救ってあげてください」とその下に、虫取り用のアミが壁にかけてあったそうです。

露天風呂に飛んできた虫が浮いていても、こう書いてあったらきっとアミですくって(救って)あげよう、と思うでしょうね。

最近はトイレによく「きれいにつかっていただいてありがとうございます」と書いてありますね。
いままでは、汚さないで!とか、書いてあるのが普通でしたが、先に「ありがとう」とお礼を言われてしまいましたら、ちゃんとやらないと、と思うのでしょう。

このように書くようになってから、断然トイレがきれいになったそうですよ。外国語にはない、このような美しい日本語の言い回しは素晴らしいですね。

ある公衆トイレの個室に入ったとき、こんな落書きを見つけました。

「よぉ来たな。まあ座れや」

言われなくても、座りますけどね。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 31 「55年目のゴール」

55年目のゴール

金栗四三(かなぐりしぞう 明治24年生まれ 熊本出身 父43歳のときに生まれたことから四三と名づけられる)。日本のマラソンの父と言われる人です。

ストックホルムオリンピックの前年の予選会で、なんと世界記録を27分も縮める大記録を出し、日本初のオリンピック選手として出場できることになりましたが、日本からストックホルムまでの当時の渡航費が、今のお金にして500万円ほど。そんな大金はどこにもありません。一人で悩んでいたところ、兄が「田畑を売ればなんとかなる」と援助をしてくれ、出場することができました。

ところが、スェーデンまでの20日間もの旅と、日本で経験したことのない白夜で、レース前日には一睡もできませんでした。さらに、当日は迎えの車が来ず、会場まで走っていったのです。今では考えられない状態です。
さらに40度もの猛暑になり、ついにレース中に意識を失い近くの農家で介抱してもらいましたが、目を覚ましたのは翌日の朝でした。
非常に過酷な条件でのレースで、出場した68名中、半数は棄権しそのうちの一人は翌日亡くなっています。

国家の威信をかけた日本からオリンピックへの初出場であり、また田畑を売ってまで出場させてくれた兄の気持ちを思うと、死んでお詫びをせねば、とまで思ったかもしれません。

しかしその後、ストックホルムでの敗因を分析し、真夏の耐熱練習や心肺機能の向上のために富士登山などの高地でのトレーニング、そして箱根駅伝の発案など、いろいろな試みが金栗四三のアイディアが現在に生かされています。

昭和42年、金栗四三氏75歳のとき、1通の招待状が届きました。ストックホルムのオリンピック委員会からです。
「金栗四三氏のゴールを要請する」というものでした。

ストックホルムオリンピックの記録では「金栗氏は競技中に失踪し行方不明」みられていました。つまり、棄権もゴールもしていないという状態だったのです。これに委員会が気いて、金栗をゴールさせることにしたのです。

そして要請を受けた金栗氏は、ストックホルムの競技場を走りました。そして場内アナウンス。

「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月と6日 5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」。

世界一のスピードを持った男の、世界で最も遅いマラソン記録でした。
金栗氏はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしています。

金栗四三氏 昭和59年 93歳で永眠。日本には素晴しい人生を生きた人が、まだまだたくさんいますね。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 30 「理念」

理念

だいぶ以前ですが、友人からある文章のコピーが送られてきました。今、飛騨牛やうなぎの表示偽装などの社会問題が続出していますが、その原因は会社の経営者の理念がすべてであると思います。そんなことを考えながらお読み下さい。

『社長の想念を実行する社員を育てる』
どんなに商品が優れていても、社長の想念が社員に伝わっていなければ、売れない。
社長になり代わって、社員が店頭に立ち、得意先を訪問し、販売促進をやって、売上を稼いでいることを忘れないで欲しい。社長の想念を体した、熱意溢れる社員を一人でも多く育てることが、本当に強い会社を築く要諦である。

私が感じ入った会社の一つに叶匠寿庵がある。創業者は、39歳の時に人生を見つめ直し、長年勤めた地方公務員の職を、後わずか三カ月で恩給がつく、という直前に辞め、素人の身一つで和菓子店を起こした。

初めは、饅頭を作って箱に詰め、肩に下げ、観光バスの窓に向かって売り歩いた。その地を這うような苦労から、人情の機微も、商売の酸いも甘いも、人たる者の夢や使命も、知り尽くした人である。惜しいことに、亡くなられて十年ほどになる。

創業者は、社長の心を心とし、お客様の喜びを喜びとして、どんな苦労にもめげない社員を育てることに命を捧げた。

ある時、こんなことがあった。お菓子を買われたお客様が、代金を払うと、お菓子を置き忘れて、そそくさと帰られてしまった。気づいた女子社員が急いで後を追ったが、見あたらない。

機転をきかした彼女は、独りでタクシーに乗り、京都駅に駆けつけた。店でのやり取りから、東京の人で、何時の新幹線に乗るか分かっていたからである。発車のベルが鳴り止む寸前、間一髪で新幹線に飛び乗ることが出来た。

長い長い列車を捜し回り、お客様を見つけたのは、もうすぐ名古屋という辺りだった。お客様は、驚くやら、感激するやで、何度も何度もお辞儀を繰り返し、握手を求め、全身で感謝を現された。

疲れた乗客が多く、殺伐とした車内で、その一角だけがパッと光が射したように輝いて見えたという。お客様が、「きみは、これからどうするんだ」と、目頭を熱くして尋ねた。

「お会いできて、本当に嬉しかったです。ちょうど名古屋ですので、京都に引き返させていただきます」と、笑顔を残して辞去すると、列車が見えなくなるまで手を振って見送った。

この女子社員は、社長の命令で、そうしたわけではない。自分の機転と判断で、わずか数千円のお菓子を持って、新幹線に飛び乗ったのである。お金では替えられない叶匠寿庵の心が、お菓子に込められていたからである。

社長がこのことを知ったのは、彼女からの報告からではない。お客様が雑誌に書かれて、それを送ってくださったからである。

社員が良く育っていないと、社長の想いはなかなか実行されない。苦労人の社長は、和菓子だけを売っているのではなく、商いの道とか心、哲学とかお客様の喜び、そういったものを命懸けで守ってきたわけである。だから、社長の想いが骨身にしみて社員に伝わり、実行されたのだ。社員が良いと、伝説が生まれる。

社長は亡くなられたが、その遺伝子が社員の血の中に脈々と流れ続けていることを願って止まない。社長の想念を体し、機転をきかして実行する社員こそ素晴らしい。

以上、どなたの文章か分かりませんが、いいお話なので掲載させていただきました。
私の会社でも、常に「ありがとうと言われる調律師になれ」と社員に言っています。そして、社員が喜びを持って仕事をし、会社もきちんと利益を上げ、もちろんお客様もここに頼んでよかった、と思ってもらえる、「3方すべてがよし」という形をとり続けていきたいと思っています。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 29 「パカワンちゃん」

パカワンちゃん

心の窓メルマガ版 21号でご紹介した、タイのP&Cボランティア協会からのレポートをご案内します。

彼女の名はパカワン・ポンケオ。彼女はHIV母子感染で生まれました。その上、彼女は生まれながらにして聴覚に障害を持ち聾唖です。パカワンちゃんの両親は彼女が生まれると直ぐに次々と共にエイズで亡くなっています。その後は祖母と貧しい二人暮らしです。

彼女は自分がHIVである事をずっと前から知っています。心無い近隣の人にそれを知らされました。それでも、それをしっかり自分なりに受け止めて強く前向きに頑張って来ていました。

4年前11歳の時にP&C里親支援がスタートしました。パカワンちゃんは、いつも寂しそうな目をした翳りのある消極的な少女でした。

当時、栄養不足で免疫低下によって熱を出したり皮膚炎を起こして入退院を繰り返していましたが、支援品のお米やミルクなどのサポートで健康を取り戻し、元気に養護学校に通うように成っていました。

パカワンちゃんは、たぐい稀になる容姿端麗な美少女で、すくすくと身体も立派に成長していました。

しかし、思春期を過ぎた頃から女性である事を嫌ってか、だんだん少年のような格好や振る舞いをするようになって次第に男の子みたいになってしまいました。

自分には恋愛も子を産む事も許されないと知ってしまったのですから。私には、それが彼女の不運な人生への最大の抵抗に見えていました。

タイの医者の話では、子供のHIVでは多くの場合、10歳から12・13歳でエイズが発症し亡くなっているのだそうです。パカワンちゃんは今15歳。6月で16歳になる少女です。それからすると、とても心配な時期に差し掛かり今後は楽観視出来ない事が分かります。

数ヶ月前から、支援品を渡す度に、パカワンちゃんの顔や腕の皮膚がガサガサして来たなと感じていました。医者に掛かるように促しましたが、お金が無いので行っていないようです(薬代や治療費は免除がありますが、遠くのHIV専門の総合病院へのバス費用や同行者は無く、一日掛かりの通院には食事代の出費もかさみます)。

先月、彼女と会った時、毛髪が抜け落ちているのに気が付きました。肌にも艶は無くボロボロでした。

そして数週間前、彼女は髪が無くなり、醜く自分の姿が変わって行くのに心を痛め学校をやめてしまいました。今は一日中家にこもり、時々日中祖母を手伝って軽い畑仕事をしたりの生活です。

現在のパカワンちゃんは、脱毛と皮膚炎の症状の他は、今は体力もあり元気そうに見えていますが、どうやらエイズ発症の兆しが見え隠れているは避けがたい状況です。

今、私達は彼女をもう一度美しい少女に戻してあげられると信じて見守っています。病院に通わせ出来る限りの良い医療と治療を受けさせたいと考えています。最後まで諦めないで私達も一緒に病魔と闘ってあげようと決意しています。

どうか皆さん、パカワンちゃんを応援して下さい。どうか皆さん一緒に考えて下さい。

HIV児で生まれ、聾唖で生まれ、両親は次々に他界し、極貧の祖母とひっそり暮らしてきた少女。 自分がエイズを発症するまでの命である事をずっと胸の内にしまい込んで、この世界の美しい音を一度も聞く事もできず、言葉を発する事もできず、家族の愛に飢え、ひっそりとけな気に生きてきたパカワンちゃん。

もし、長く生きられたとしても生涯、結婚も母親になる事も許されないと知っていしまった少女。彼女はこれまでどんな思いで生きてきたのでしょうか。

もし万が一、このままエイズの苦しみを背負って逝ってしまったら。あまりにも残酷で悲し過ぎます。今、私達が出来る事は何でしょうか?

いつとも知れない最後の日までに、『自分を必要としてくれる人達がいた。自分は愛されていた。』ともっと感じさせてあげたい。『胸の内をもっと気付いてあげたい。もっと見つめてあげたい。』『何になりたかったのか?どんな夢があったのか?』『どんなに辛かったか?どんなに悲しかった?』を。

宿命の日が訪れてしまう前に、これまで言葉に出来なかった溜め込んだ苦悩の感情を全て開放してあげたい。どうかこの子達全員がいつまでもいつまでも命の火を灯し続けてくれますように。生きた意義と存在価値と生きてきた証をいっぱいいっぱい残せますように・・・。

以上が、今年2月にいただいたタイからのメッセージです。
残念なことに6月20日のメッセージでパカワンちゃんが再入院したと聞きました。彼女は看病しているおばあちゃんがいないときに、一人で涙を流しているそうです。

今月24日が彼女の16歳の誕生日。日本から贈られたたくさんのお見舞い品が彼女に届けられました。奇跡を信じ、元気に回復して家に帰られるように願っています。

P&Cボランティア協会ホームページ http://pandc.konjiki.jp/index.html
ミクシィ会員の方はこちら http://mixi.jp/show_friend.pl?id=9528081

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心の窓メルマガ版 28 「ゴースト」 

ゴースト

みなさん、突然ですがオバケはいると思いますか?

私は見たことがないので分かりませんが、昔から日本だけではなく世界中で幽霊の話がたくさんありますので、統計的にもいると思ったほうがいいように思います。この世には、見えないけど存在していることってたくさんありますからね。

さて、今回は話題のドラマのお話しです。アメリカの連続ドラマ「ゴースト~天国からのささやき」というのが今、レンタルビデオなどで大人気で、私も試しに第1巻から見てみました。

もう最初から涙がボロボロ。幽霊の出る怖いドラマかとおもったら全然そんなことなくって、とっても人間的な幽霊ばかりです。まずドラマの設定が、実際に幽霊と話しのできる能力のあった人物の、実話に基づいたものらしいのです。

主役のメリンダは子供の頃、祖母に「あなたには、死者と会話ができる特別な力があるのよ」と言われ、実際、彼女には普通の人に見えない霊が見えてしまうことを知ります。

そして、霊も彼女と目が合うものですから、自分のことが見えるんだと分かって、メリンダに助けを求めるようになります。

メリンダの前に現れる霊は、それぞれの願いがあり、それを叶える為に必死に訴えかけてきます。

このように、死者(ゴースト)からの生前愛する人たちに伝え切れなかったメッセージを伝え、さまよえる魂を安らかに天国へと導く感動のドラマです。

特に私が泣いたのは、子供の霊が出てくる話です。

ある小さな男の子が線路の横で座っています。メリンダが「どうしたの?」と聞いたら、「お母さんが、迷子になった時には、必ずその場所で待ってなさい、といったからずっと待っているの。でもこないの・・・」。

そう、この男の子は踏切事故で死んでしまったのですが、自分が死んだことが分かっていません。その現場で、ずっとお母さんを待っているのです。

この子に死んだことを分からせて、本当に行くべき世界へ送るためにメリンダは走り回るのですが、霊が見えて話ができるなんて誰も信じません。その子の親にもお金目当てに来た、と思われてしまうのです。

でも、子供しか知りえない話をするものですからだんだんと信じはじめます。しかしお父さんは子供を亡くした悲しみから、その原因になった人をピストルで殺しにいくのです。

ずっとそばについて、「お父さん、悪いことしないで!」と亡くなった子供は呼びかけるのですが、聞こえるわけはありません。

結末はここでは書きませんが、これらのドラマを見ていて思うことは、この世に思いを残してしまうと、行くべき世界へ行けないということ、仏教でいうと成仏できないということでしょうか。

人はいつか必ず死にますが、やはりやりたいことは全部やって、毎日を後悔のない生き方をしていくことが大切で、この世に思いを強く残してしまうと大変なんだ、ということがよく分かりました。

他にも火事で孤児院が焼けて、亡くなった子供たちが、死を受け入れずずっとその屋敷で暮らしている話も、感動で画面が見えないほどでした。

老人ホームでインタビューをした人がいます。
「あなたの人生を振り返ってどうでしたか?」。

この質問に、もっとこんなこともやりたかった、あんなこともやりたかった、とほとんどの人が答えるそうです。やってみて失敗したことを後悔するよりも、やりたいことをやらなかったことに後悔する人がとても多いそうです。

失敗してもいいから後悔のないようにやってみる、そしてやろうと思っていることは今すぐやっておく、ありがとうといっておきたい人には今すぐ言っておく、ということですね。

そしてたくさんの人から喜ばれる生き方をしたいですね。

アルプスの少女ハイジはみなさんご存知だと思いますが、クララがハイジの山に来て、ペーターの、目の見えないおばあさんに聖書を読んであげたとき、おばあさんが涙をこぼして喜んでくれたのをみて、今まで人の世話になってばかりいた自分が、人のためになることができた、歩けない自分だって人に喜ばれることをすることができるんだ、と気づいたとき、クララは生きている本当の喜びを感じたのです。

生きる喜び、ありがとうをいっぱいに浴びて人生を豊かに生き抜いていきたいと思います。

ぴあの屋ドットコム 石山


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