心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓メルマガ版 52 「人生の3歩」

「人生の3歩」

今日、車を運転していたら、道を渡ろうとしていたおじさんが、私の車が来たのをみて、3歩引き返しました。

その時、助手席に乗っていた妻に、私は言いました。

「あのおじさんの人生の3歩ぶんを奪ってしまったかもしれない・・・」

「なんで?」

「僕の車が来て、3歩さがったために、人生の3歩ぶんバックさせてしまった。これからのおじさんは、3歩ぶん後ろの人生を歩いているから、どこかの道路をまた渡るとき、渡りきれなくて車にはねられるかもしれないよ・・・」

そういうと妻はこう言いました。

「お父さんの車がきて、3歩後ろに人生が下がったおかげで、ベランダから落ちてくる植木鉢に当たらなくてすむかもしれないよ」

はい、ここで結論。
人はとらえ方が違うということ。
そして、人はみなつながって生きているということ。
いつもだれかとつながっているんです。

「自分一人くらい居なくなったって、世界は変わらないよ」
なんて嘆いている人がいるかも知れませんが、実は、一人一人はとても大切な存在で、日本中の人に影響を与えているんですよ。

日本とハワイは海をへだてて陸地ではつながっていないようにみえて実は、海の水を全部汲み上げたら、地面でつながっている・・・。

人とのかかわりも、実はこういうことなんですね。

昔、あるテレビ番組で実験をやってました。
沖縄の幼稚園の子供と、北海道のおばあちゃんと何人の人を介したらつながるか?

答えはたった3人です。

幼稚園の子供の知り合いの知り合いが北海道の郵便屋さん。
その人とおばあちゃんがお友達。ほとんどの人がこれくらいの人数でつながってしまうそうです。

車を運転していた一瞬の出来事を、こんな長い文章にしてしまう私。
道を渡ろうとしていた見知らぬおじさんは、私の人生にしっかりと繋がっていました・・・。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 51 「性格とは」

性格とは

ある講習会にいきました。

10年ほど前に、動物占いというのが流行しましたが、結構あたると評判でしたね。
その元になった統計学の話です。

2日間18時間のロング講習でしたが、驚きの連続でした。

占いではなく、人の性格というのは生まれた日で内面的にはほぼ決まってしまうというもので、大きく分けて60日に一人、同じ傾向の性格の人が生まれ、再分化すると、自分の性格は10億分の1の確率での性格だというのです。

古くからの流れで言うと中国の四柱推命ですが、
私は単なる占いではなく、完全な統計学だと思いました。

大きく分類すると人の性格は、人格志向、実力志向、成功志向
と分けられ、ちなみに私は人格志向。

競争、争いを嫌い、人格者として人間らしく生きるために頑張るタイプで「あの人、いい人ね」と言われるとやたらと喜ぶそうです・笑。

実力思考の人は、実力で稼いだお金で自分の世界を築くために頑張るタイプで、競争大好き。「あの人、やり手ね」と言われるのが大好きです。

成功志向は、成功者として堂々とした人生を築いて、安心できるまで頑張るタイプで、相手は敵か味方しかいません。

怒らせたらコワイですが、「あんた、スゴイ!」という言葉に弱いそうです。

もうひとつ、気付いたことは、世の中には実力思考の人がやや多いため、「目標」を設定しないと動けない人が多いそうです。

私は目標なくても、コツコツと前に動けるタイプなのですが、
ビジネス講習などをしても、人によってビジネスのやり方が違うので、自分の考え方を押しつけてしまうと、ストレスになる人があと3分の2いると思ったほうがいいようです。

ほんの一部だけご紹介しましたが、今回の講習はものすごく奥が深い学問でした。

これが分かっているだけで、仕事の上で営業のやり方がガラっと変わってしまいますね。

先日、私の家にちょっとグレードの高いクレジットカードの勧誘にある営業マンが来ました。

「私は有名な芸能人にも会ってお勧めしているのです」
こう言いました。

彼にとって、相手にする顧客は成功志向の人が多く、「芸能人」という言葉にやたらと反応するので、このような言葉で気を引こうと思ったのでしょう。

でも私は、「だから何?」という反応。
相手は拍子抜けしてました。

この講習で分かったことは、すべての人が、意味があってその性格をもって生まれてきたということです。

いい悪いはありません。あなたには世の中にやるべきことがあり、その性格をつかって自分を磨く必要があるということです。

大きなトラブルが起こったときに、よくわかります。
人を責めても、その人はそういうタイプなので仕方ないのです。

自分と別の志向の性格を持つ人のことは理解できなくて当然なのだ、ということが良く分かりました。

夫婦や親子関係でもうまくいかないケースは、性格志向が違うということ。

自分とは違うということを、まず分かること、受け入れること、
そして一緒に成長すること。

これができれば、人間関係のストレスから解放されるということが分かった講習会でした。

つまり、「あなたはあなたでいい」ということなんですね。

「これでいいのだ」

天才バカボンのパパは41歳。
41歳の春に、彼はもう分かっていたのです。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 50 「エルトゥールル号の遭難」

「エルトゥールル号の遭難」

明治23年9月16日の午後9時ごろ、和歌山県の南端、樫野崎灯台の沖で、台風のためトルコの大型木造軍艦が遭難しました。

村人は流れついた外国人を、自分の体温で我を忘れて温め看病し、自分達の食料をすべて与え、トルコの人達は一命を取り留めました。

また、村人は遺体を引き上げて、丁重に葬りました。
船に乗っていた人は600人余り、助かったのは69名。

明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされ、生存者全員をトルコに送還なされました。

また、日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられました。

次のような後日物語があります。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事です。

イラクのサダム・フセインが、
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落す」
と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信しました。

日本からは企業の人達やその家族が、イランに住んでいました。

あわててテヘラン空港に向かいましたが、どの飛行機も満席で乗ることができませんでした。

世界各国は自国の救援機を出して救出していましたが、日本政府は素早い決定ができなかったために、空港にいた日本人はパニック状態になっていました。

そこに、2機のトルコ航空の飛行機が到着して、日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛び立ったのです。
タイムリミットの1時間15分前でした。

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語りました。

「エルトゥールル号の事故に際し、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。

私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。

トルコでは、子供でさえ、エルトゥールル号のことを知っています。

今の日本人が知らないだけです。

それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

このようなすばらしい父祖をもった誇りを、我々も子々孫々まで伝えなくてはいけないと思います。

(出典:いい話の新聞)

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 49 「大切にしたい会社」

大切にしたい会社

従業員50名のうち、およそ7割が知的障がいをもった方々で占められている会社が川崎市にあります。

日本理化学工業というチョークを製造している会社です。

昭和34年のある日、近くにある養護学校の先生がこの会社を訪ねて、今年卒業予定の障がいをもつ少女2名をこの会社で採用してほしい、と頼みにきました。

しかし、人を採用するということは、その一生を幸せにしてあげないといけない、という思いがあり、社長はその自信がなかったのです。

「お気持ちはわかりますが、うちでは無理です。申し訳ございませんが・・・」。

しかし、先生はあきらめず、何度も頼みに来ました。

最後の訪問のときには、

「就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま、施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。
あの子たちは健常者よりも平均的に寿命が短いんです」

と先生は言いました。

頭を擦りつけるようにお願いしている先生の姿に感動した社長は、「一週間だけ」という条件で就業体験をさせてあげることになりました。

二人の少女は、雨の降る日も風の強い日も、8時開始の会社に、毎朝7時に玄関に来ていました。

そうして1週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている時、「お話があります」と十数人の社員全員が社長を取り囲みました。

「あの子たちを、正規の社員として採用してあげてください。
あの子たちにできないことがあれば、私たちみんなでカバーします。だからどうか採用してください。」

社員全員の総意だと言うのです。

簡単なラベル貼りの仕事をさせていたのですが、とにかく彼女たちは仕事に没頭して一心不乱に、そして幸せそうに働いていました。
その姿に社員たちは心がうたれたのです。

彼女たちは会社で働き始めました。
その後、その会社では障がい者を少しずつ採用するようになっていきましたが、社長には一つだけわからないことがありました。

どう考えても、会社で働くよりも、施設でゆっくりとのんびり過ごしたほうが幸せではないかと思えたのです。

そのことをあるお坊さんに聞くと、お坊さんはこう答えました。

「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされることなのです。特に役に立つことと、必要にされることは、働くことで得られるのです」

この言葉は、社長にとって目からウロコが落ちるような考え方でした。
「生きる」とはこういうことだとわかったのです。

それからは、さらに積極的に障がい者を採用するようになり、なんと社員の7割を障がい者が占めるようになりました。

この会社を訪ねたお客様の応接室に、コーヒーを持ってきたおばあさんがいました。

「よくいらっしゃいました。どうぞコーヒーをお飲みください」

その白髪で腰のまがったおばあさんは、50年前に入社したあの少女だったのです。
15歳くらいで採用していますから、もう65歳になっています。

彼女が会社に勤め始めて50年。
その彼女をあたたかく見守り、ともに働いてきた同僚たち。

最初の障がい者雇用について、「その子を一生面倒みられるだろうか」と悩んでいた社長の姿は、もうそこにはありません。
信念を貫きとおして実行し続けている、自信にあふれた苦労人ならではのやさしい笑顔がありました・・・。

「日本で一番大切にしたい会社(坂本光司著)あさ出版」より引用

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 48 「街照者」

街照者

滋賀のショッピングモールに行ったときに、こんな言葉が書かれた看板を見つけました。

「照街者施設共同店舗」

私は、障害者の害の文字を必ずひらがなで

「障がい者」

と書くようにしていますが、この看板には驚きました。

「照街者」(街を照らす人)という意味ですよね。

この言葉を見て、知的障がい者のオリンピック

「スペシャルオリンピックス」の細川佳代子代表の講演を思い出しました。

「どんなに医学が進歩しても、

人間が生まれ続ける限り

人口の3%前後は障害のある子供が生まれる。

それはなぜかと言うと、

その子の周りの人たちに、

優しさ、思いやり、

を教えるための神様からのプレゼントだから・・・。」

障がいを持った子を持つ親御さんは

大変苦労をされていることと思います。

でも、細川代表の言われるとおり、

周りにいる私たちにとってはとても大切な存在だと思うのです。

私が子供の頃に比べて差別的な言葉はどんどん死語になっていき、

ハンディのある人たちに手を差し伸べる若者が増えてきました。

公共施設などは、昔より障がい者の利用しやすい環境になりつつあります。

優しさを気づかせてくれる大切な存在、

まさに、街を照らす人なんですね。

この言葉が広がっていけばいいですね。

みなさん、いかがですか?

ぴあの屋ドットコム 石山


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